ちゅったんの香港おばば 目次
借金取りに見込まれたオンナ

マミーの世代のおばば・おじじ達は、大なり小なり波乱の人生を歩んできたはずです。
マミーが生まれた頃清朝が瓦解後、国民党が誕生、日本軍がやってきて、共産党と国民党が手を組んで日本軍と戦った混乱の時代。
香港のほどんどは中国からの移民なので、苦難の時代を生き抜くために香港に渡ってきた人たちが「香港人」になったのです。

マミーの家は父方は清朝の地方高官の息子、母方は地方の豪農でどちらも裕福に育った両親で、この混乱でお父さんは病死、お母さんは娘2人を連れてマカオに入国。
子どもだったマミーの綿入れの中に金の装身具を山ほど縫い付けてマカオに入ったそうです。やっぱり金は強し、どんな時代にも重宝されるんですね。

向こう見ずな正義感(!)は、少女時代から発揮されていて、子沢山で貧乏な同級生に朝食(外食)を食べずに貯めたお金をあげ朝礼で貧血になって倒れたり、弱い者いじめをする男子とケンカしたり、「男の子に生まれていたらどんなによかったか」とお母さんは嘆いていたそうです。

マカオの小・中学校を飛び級を繰り返して6年で卒業。
13歳から電球工場や代用教員、色んな仕事をこなす少女時代のマミー。
お母さんは若い頃との環境の落差を受け入れられず病気がちで、マミーが家計を支えました。

マミーの本当の夢は広東オペラの歌手になること。
豪農だったお母さんの家では、劇団を家に呼んでオペラを見るのが最大の娯楽だったので、芝居は見て楽しむもので、演じるものではないと反対。
第一オーディションに受かっても結局許しませんでした。

正義感は強くても真面目一徹ではありません。
マミーはダンスホールに出入りし、ブイブイ言わせていたらしい。
そこで、ダメおやじと出会ってしまい結婚。

ここから借金地獄の日々が始まったのでした。
ダメおやじと写真の現像屋を開き、当時白黒だった写真に後から色づけする手法で結構儲かったけど、売り上げはダメおやじの懐へ。
次にダンスホールを経営。
ここでもおやじが次々に借金を作り、借金取りが行列する有様。
客から入った入場料をその場でよこせと迫った借金取りに「黙れ!今営業中だから店閉めて踊り子さんたちに日給払ってから残った分を渡すから、そこで待ってろ!」と啖呵を切ったこともあったそうです。
マミーは「昔はヤクザやチンピラも人情味があった、夫が作った借金だから同情もしていた。」と言います。

ダメおやじの借金を地道に返済し、その日のおかずを買うのが精一杯の時、借金取りの黒社会の方が「あんたの度胸気に入った、今度作る夜総会のママさんになってくれ」とスカウトされたそう。
5人の息子と姑を抱えお金に困っていたなら、すぐに引き受けそうなものだけど、マミーは夜の商売はお断り(これもヤーさん相手に勇気いるな~)。

その後にも職場のレストランのいつもヤク中でラリってる同僚から、「何も聞かずに今晩このバックをある人に届けてくれたら月給の5倍あげる」と言われたけど、明らかにヤバそうなブツなので、息子に顔向けできないことはできないと断ったそう。

「信用は命より大事」というのが彼女の信念。
江戸時代からタイムスリップしてきたお侍さんのような人です。
私の信念は、信用は大事だけど「命あっての物種」命が一番大事です!

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