長女の誕生日に思うこと

2002年第一子を妊娠し、出産予定日は2003年7月でした。当時広東語漬けの生活だったので、子どもが生まれたら日本語で話すぞ!と希望に満ち溢れていました。妊娠前半は香港式の妊婦のしきたりを守りつつ平穏に過ぎ、年末に一時帰国し出産に必要なものや赤ちゃん用品などを揃えて船便で送り、香港での出産に備え着々と準備していました。

それが旧正月の後、過去に前例がない謎の感染病で死亡者が出て、テレビをつけると日々感染者数・感染地区が常に更新、増加し、不安は増すばかり。その後、SARSという病名がつきましたが、決定的な治療法もなく医療関係者の犠牲者に加え、アモイガーデンの集団感染に震撼し、機内感染の例もあり飛行機の本数が減るなど、果たして無事に香港で出産できるのだろうか、と鬱々とする日々を送っていました。

とうとう私の住んでいる地区でも感染者が出て、香港在住の日本人の友人が「このままだと厳戒令が敷かれ、空港が封鎖されるかもしれないし、妊娠8ヶ月になる前に日本に帰って出産したほうがいい。私たち家族も一時帰国するから、一緒に帰ろう。」と言われ、日本での里帰り出産を決意。友人とは行き先が違うので、一人で帰えることにしたのですが、機内感染が怖いので、マスクをし、食事も飲み物もパス、トイレに行かなくて済むよう紙おむつを着用、大げさかもしれませんが命がけの香港脱出でした。

到着後一週間の潜伏期間を過ぎてから産科に通い、予定日の7月初旬に無事出産。ちょうどその頃SARSの終息宣言がありました。香港は徐々に立ち直り、2003年のSARSを境に衛生基準が劇的に向上しましたが、今でもあの悪夢の数ヶ月、「香港はもうおしまいだ」という絶望感を忘れることはできません。

そして、あれから16年後、容疑者引き渡し条例改正案の通過が色濃くなった4月あたりから重苦しい空気が広がっていきました。今年の6月9日の容疑者引き渡し条例改正反対(通称「反送中」)のデモ、12日の政府との衝突、政府の強行な態度、香港の民主主義が足元から揺らぐような衝撃的な事件でした。警察が丸腰の市民に催涙弾などを大量に、近距離で撃っている様子を中継で見ていて、市民を守る警察はどこへ行った?市民を痛めつける存在に急変したことに大きなショックを受け、私の知っている香港が音を立てて崩れていくような恐怖を感じました。「反送中」を通して、表現の自由への圧力、圧力を感じて自分でも萎縮しはじめていることに精神的の自由が侵食されてきている実感しました。

それはSARS の時に感じた感染したら死ぬかもしれないという生命の危機感と同等の恐怖です。16年前のSARSの絶望感が蘇りました。SARSの脅威に比べたらまだましだ、という人もいるけど、私はそうは思えません。この時、初めて自由とは、民主とは、26年前に私が香港に降り立った時にはすでに空気のように存在していたけれど、決して天から降って来たものでなく、イギリス統治下の特殊な環境下で与えられたかけがえのない権利であり守られるべき遺産なのだ、と気づかされました。

香港は再び立ち直れる、と信じたいです。若者たちが抵抗し、戦い続けることは尊く、応援したい気持ちと同時に、長女より数年大きいぐらいの子たちが最前線に立つ姿を見るととにかく身の安全だけは確保してほしいと願うばかりです。皮肉にも今回の抗議活動を通して、香港の若者たちは何と気骨があるのだろう、100万・200万人規模のデモ平和裏に成功させる知恵と理性に感服しました。そして、安定した生活を手に入れている大人たちも一緒になって戦う姿、交通や生活に多少支障があってもそれを受け入れる市民、香港の懐は深い。この自由の港に育った賢く根性がある人々、これが香港の宝、この人たちの将来を武力で踏み潰すなら、その損失は計り知れないです。溢れ出るバイタリティ、こちらが戸惑うほどの優しさ、変化にしなやかで逞しく頼もしい人たち、私の大好きな香港人が香港人らしく生きられる場所でいられるよう心から願います。

政府支持・デモ反対の人々もいて、家族間・友人間でも意見の違いで対立・分断が生じています。我が家でも意見が二分していて、この話題をなるべく避けるようにしていますが、言動の端々に主張が出てしまい、その度に険悪ムードになり、本当に辛いです。9月の中秋節は、香港人にとって旧正月に次ぐ大事な家族行事。日本でいうお盆のように遠くに住む家族も一同に集い、この日は賑やかに食卓を囲みご馳走を食べます。笑顔で中秋節を迎えたい、この日の満月は大きく明るく香港を照らしてほしい、香港に希望を、笑顔を取り戻せますように。

Aug 21, 2019