くらす香港 肆

暮らしてみて見える・感じる香港を各フィールドで活躍する女性に伺いました。


「形と色を変えながら輝き続ける」

 

鎌田 千賀子 さん

 

職業:人材紹介・派遣

プロフィール
京都出身。大学卒業後、日本の大手芸能プロダクションを経て、1997年語学留学のため来港。通訳、コーディネーターなどのフリーランス後、2006年から人材紹介業に従事。現在はAPASS International Hong Kong Company Limited香港代表。人材紹介、ヘッドハンティング、日本産商品を香港に紹介するコーディネイト業務に携わる。香港青森県人会副幹事。趣味は山歩き。

 

「いい時は2倍、3倍後押しがある」

大学卒業後に就職した会社がアジアへ市場展開を狙っていて、アジアの語学がいずれ重要になるだろうという社内の雰囲気もあり、休職して好きだった香港へ語学留学しました。
1997年8月31日、夜便で当時のカイタック空港に降り立ったのですが、その時飛行機から見た香港はキラキラ輝いていて、この街でいったいどんな楽しいことが待ち受けているのかワクワクしながら空港に降り立ったことを今でもはっきりと覚えています。
ところが、来て間もなく体調を壊してしまいました。
まるで香港というエネルギッシュな街の熱気に生気を吸い取られたかのような気がしました。
香港は自分の「元気」が足りないとエネルギーを吸い取られ、いい時は2倍、3倍後押しがあるという不思議な街ということを後々実感するようになります。

この経験があるので、今でもネガティブになりそうな時は、マイナスの気持ちが下降しないように、ポジティブな友人と会ったり、アドバイスをもらったり、前向きになれる行動を意識的に取り入れるようになりました。

 

「家族がたくさんできて嬉しい」

留学を終え、日本に帰国し復職することもできましたが、籍を置いていた会社が合併し方向性が変わったことや後に夫となる香港男性と交際が始まっていたこともあり、香港に留まることを決意しました。
実は、彼から交際を申し込まれた時、迷っていた私に彼を紹介してくれた香港人の友人が「彼の家族はとてもいい人ばかりだから、つきあってみたら」とアドバイスをくれ、その言葉に背中を押され交際。


(↑夫と交際していた頃)

そして、99年に結婚。
結婚当初は夫の両親と同居していましたが、友人が太鼓判を押したとおり「家族がいい」のは本当でした。
結婚式前、お義母さんとお義姉さんから「この子と結婚してくれて嬉しい」としみじみ言われ、感動しました。
国際結婚で不安だらけでしたが、周りに祝福されて、望まれて結婚する幸せを噛みしめた瞬間でした。
最初は、お互いの家の鍵を持ち合ったり、家族の中でお金がある人が払えばいいという香港のしきたりに驚くことが多々ありました。
しかし、日本にはない親密かつ大人数の家族づきあいは、煩わしさより素直に家族がたくさんできて嬉しいというポジティブな気持ちになっていきました。
何よりも皆に受け入れられているという気持ちが強かったからかもしれません。
1年後にマンションを買い、夫と2人の生活にシフト。
しばらくはお互いの仕事に忙しく、ただの同居人に近い生活が続きます。
その後、マンションの買い替えをし、引っ越してから夫婦関係は劇的に良くなります。
もしかしたら風水なのかもしれません。

義母と義父が九龍サイドに住んでいたころは、毎週土曜日家族で家族で集まってご飯を食べてました。
義母とうちの夫が16人分の料理をつくり振る舞います。
彼らが引っ越してから、また一昨年義母が他界してからは全員が集まる機会は少なくなりましたが、今でも折に触れてお義父さんやお義姉さんたちと個別に集まっています。
甥っ子、姪っ子が大きくなり、恋人を連れて来るようになり、結婚、出産とさらに家族が多く広がっていくのだろうなと、楽しみでなりません。
またそれ以外に、私にも親しい友人の子供で二人の契仔(カイジャイ)がいます。今は3歳と4歳。血縁関係はなけいけど家族同様の義理の息子として、今後も成長を見守っていきたいです。

 

「感謝の意を込めて来港20周年パーティー」

香港で良き伴侶・家族・友人・仲間と巡り会うことができ、途切れることなく仕事が巡ってきて、束縛なくやりたいことが良いタイミングでできたこと、それをもたらしてくれた人・場所・時に感謝を込めて、一昨年「来港20周年パーティー」を開きました。
家族と親しい友人・仲間を招いて、素敵な時間を過ごすことができました。


(↑夫とお義姉さん@来港20周年パーティー)

その時にも思いましたが、特に夫には心から感謝しています。
毎日欠かさず夕食を作り、帰りが遅くても食べずに待っていてくれるのです。
それと日本にいる母が毎年1~2回のペースで香港に来るのですが、夫と夫の家族全員がいつも彼女に対してよくしてくれるのも非常にありがたいと思っています。


(↑母と山歩き)

 

「香港は形と色を変えながら輝き続ける」

この21年間、目まぐるしいスピードで変化してきた香港を見つめてきましたが、エポックメーキングと思えるのは、2003年のSARS、2014年の雨傘運動の二つの出来事です。
SARSの時、九龍湾に住んでいて向かいに見えるアモイガーデンで集団感染が発生し、その地区に住んでいるというだけで差別されたこともありました。
雨傘運動には、友人も数名座り込みに参加していて、陣中見舞い行ったこともあります。
色々なことを考えさせられた瞬間でした。
香港にこれからも長く住み続ける外国人として、この出来事をどう受け止めたらよいかと。
「転げる香港に苔は生えない」という本が以前ありましたが、まさにその通り。
香港は色と形を変えながらも、輝きを持ち続けている、これからも輝きを持ち続けていくと信じています。
最近は悲観的なことを言う人も多く回りには移民する人も多い今日この頃。しかし21年前に空港に降り立った時に感じた香港の輝きは、今も私の心の中で光り続けています。
そしてこの変化をむしろ楽しみながら、私自身も香港という土地と共に成長し続けていきたいと、今気持ちを新たにしています。この待ちで私のチャレンジはまだまだ続きます。

 

香港に関する10の質問

1、香港で一番驚いたこと/カルチャーショックだったことは何ですか?
家族の定義が違うこと。日本では親戚と思える人まで、こちらでは家族と言う。
家族関係がクロースなこと。

2、香港のすごい、いいなと思うところは何ですか?
街全体のエネルギーがすごい。
自分がノリノリの時は2倍、3倍にもしてくれる。ただし、その逆で弱ってる時はエネルギーが吸い取られる不思議な街。

3、香港のちょっと残念、嫌だなと思うところは何ですか?
「自己人」には優しいけど、「他人」には冷たい。
*自己人とは、自分のテリトリーの人を指す

4、 香港で食べた物で一番番美味しかった料理は何ですか?
義母が端午節に作っていた粽と、白玉団子。今では食べれない懐かしい味です。

5、 香港で食べた物で「これは無理!」/苦手という料理は何ですか?
道端で売ってる「少食(スナック)」。特に揚げ物とか、臭豆腐。油はいつ変えたんだとおもう。

6、よく買うお土産を教えてください。
アーモンドやクルミなど(日本より安いため)、奇華のパンダクッキー、のど飴など。

7、香港に来た親戚や友達が来た時案内する場所はどこですか?
近場: 志蓮淨苑、南蓮園池
遠出: ランタオ島の大仏

8、ご自身にとってのパワースポット/好きな場所はどこですか?
港島徑(アイランド、トレイル)ハイキングでよく利用しており、簡単に森林浴できる。

9、 香港で得た最大の財産(有形・無形)は何ですか?
有形:夫とその家族、マンション
無形:何才になっても挑戦できるエネルギー

10、香港で挑戦したい/やりたいことはありますか?それは何ですか?
これからもっとハイキングを突き詰めて、重装備しなくても行けるハイキングのツアーガイドをボランティアでやりたい。例えば日本から来た観光客にも気軽に行ける香港の山の魅力を紹介したい。

これから香港に来る方・来たばかりの方へ応援メッセージ
ここは基本的に何でもありの土地です。自由で好き勝手ができるここを、思う存分楽しんでください!

 

〈あとがき〉
鎌田さんとは香港青森県人会(ご自身は京都出身ですがご両親が青森出身)で知り合い、今では副幹事までしてもらっています。鎌田さん曰く県人会は、遠くの親戚のようないい距離感だそう。気取らずいい感じ付き合ってますが、個人的な履歴を詳しく伺うのは初めて。香港への愛と感謝を感じました。私ももう少し香港の輝きを信じてみようかな。
聞き手:コンスミコ

Mar 15, 2019