—036— 恩人の死

白井純子 

愛知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている

 後悔のないように生きたいと思い、自分の限られた時間を楽しく有意義に使うことを日々心がけているのだけれども、私の人生に彩りを与えてくれた人、それでいて過去の遠い時間に置き忘れてしまっていた人の訃報を知ると、なんとも遣る瀬無い思いになる。

 彼女は私の「東京の母」だった。愛知の片田舎に住んでいた私が大学進学を機にどうしても上京したいと願っていた時、彼女が私に運命の手を差し伸べ、救い上げてくれた。東京にある某大学に合格したものの、娘を一人で上京させることをためらっていた私の両親に対して、うちに下宿をさせてあげるから、その大学に通わせてあげたらどうかと話してくれたのが彼女だった。その後2年間、私は彼女のお宅に下宿をしながら大学に通った。彼女は私の父の部下だった方のお母さんだ。息子さんは二人いたが娘がいなかったので、私を娘のように可愛がってくれ、私達は色々な話をした。彼女はランの花が大好きで、蛇が嫌いだった。和菓子屋でパートをしていて、私をその和菓子屋に招き、一緒に外でランチをすることもあった。しかし、大切にされていることを知りながらも、電話の使用に制限があったり、テレビを自由に見られなかったり、大学生の自分には窮屈と感じる日々が増え、三年生になる春に一人暮らしを始めた。彼女はきっと寂しかったことだろう。それとも肩の荷が下りたと思ったか。今となっては知る由も無い。

 将来私が結婚するときは結婚相手を紹介するように言われ、「もちろん」と答えた約束を私はついに果たせなかった。何度もチャンスはあったはずなのに、私は夫を彼女に紹介することができなかった。なぜだろう、若い頃には未来しか見えていなかった。過去にお世話になった大切な人を振り返ることをしなかった。自分自身が人を世話する世代になって初めて、その苦労や思いを知った。私はもっと「東京の母」に親孝行すべきだったのに。私の人生における数少ない「後悔」の一つだ。

 今から九年前、私は4歳だった長男を連れて彼女を訪れた。彼女が脳梗塞の手術を受けた後だったので、うまく話ができないことを気にしている様子だったが、会えなかった時間を埋めるように、私たちは沢山話をした。1歳だった次男を実家の母に預けての訪問だったので、短い時間しか滞在できなかったけれど、私はまた来ることを約束した。そして最後に彼女の家の前で、一緒に写真を撮った。

 今年の春、私は息子たちと東京ディズニーシーに遊びにいく計画を立てた。そのついでに彼女を訪れようと何度か電話をしたが連絡が取れない。不安になり、父に頼んで彼女の息子さんに確認をしてもらった。彼女は痴呆症を発症し、老人ホームに入っているということだった。そして、誇り高い彼女はそんな現状を私に見られることを嫌がり、私たちの訪問を拒んだ。この時私は、九年前の再会が彼女との最後の時間だったことを知った。

 何気なく過ぎていく毎日なのだが、全てを猛烈な勢いで過去に流していく。自分勝手にわがままに生きてきたからこそ、自分を犠牲にしなかったものの、誰かを傷つけたり悲しませたりしたかもしれない。特に私を愛してくれた人を。きっとみんな「ありがとう」ともう一度心を込めて伝えたい人がいる。それができなくなる前にもう一度。真心いっぱいの「ありがとう」を。