—014— ゆるくて楽しいイベント

白井純子 

知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている。

日本の「運動会」にあたるものを、香港では「スポーツデイ」と呼ぶ。日本人にとっての運動会は「楽しいイベント」というより、「練習の成果を発揮する場」に近い。整列も行進もダンスも、何週間も前から何回も繰り返し練習し、運動場には先生の怒号が飛び交う。一糸乱れず完璧に行動すると、先生たちの満足感を大いに満たすことになる。そして運動会当日、観覧する親達は感嘆の声をあげる。

幼い頃からそれを当たり前と思って過ごしてくると、そこには何の疑問も持たなくなる。むしろ、みんなと協力して完璧を目指そうとすらする。私もそうだった。整列中におしゃべりをする子がいれば、イラッとしたこともあったし、指示通りにできない子をどんくさいと思ったこともあった。

長男が香港の学校に入学してから、運動会の意義というものが日本とは全く違うということに気付かされた。まず、事前の練習などほとんどしない。簡単なダンスを覚えるくらいなものだろう。手をあげるタイミングがきっちり揃ってなくてもいい。踊れればいいのだ。完璧を求められるようなことはない。むしろ、楽しむために行われているように感じた。だから、自分の参加競技でない時には、売店でおやつを買って食べたり、観覧席で鬼ごっこをして遊んだりしていた。

社会を大きく反映しているイベントなんだと思う。その社会で求められる適性を育むためのイベント。集団の中で協調性を大切にしながら生きる日本では、他人と力を合わせて、呼吸を合わせて、空気を読みながら行動する力は不可欠だ。それと比べて、香港は勉強も仕事も常に競争だ。勝ってなんぼの世界。だからうまく力を抜くスキルが必要になる。勉学に励む日常の中で、リラックスできる時間を持つことが大切なんだと思う。

外の世界を知らずに生きてくると、自分の常識が世界の常識だと勘違いしてしまうことがある。香港のゆるいスポーツデイを初めて見たとき私は、「規律が取れていない」と感じ、がっかりした。私の中にあった「運動会」の概念と違うものだったからだ。ところが、日本の小学校の運動会を見に来たヨーロッパ人のお父さんは「まるで軍隊みたいだな」とつぶやいたそうだ。違う角度から見ると、違う見え方になるのだと改めて考えさせられる。確かに、帰国して感じるのは、香港のスポーツデイの方が子ども達は楽しそうだったということ。それは、良い悪いと比較するものではなく、それぞれに違った良さがあるものなのだ。

子ども達は与えられた環境の中で、たくさんのものを吸収して成長する。私の息子達が経験した運動会やスポーツデイが、この先長い人生の中で、少しでも役立つことがあるといいなあと心から思う。