—022—さようなら、ありがとう

白井純子

愛知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている

先月亡くなった義父の葬儀のため、一月ぶりに香港に戻った。今回は遠い親戚や義父の友人も来るので、気心知れた身内だけの集まりとは違う。全てが初めてのことばかりで、日本を発つ前から若干緊張を感じていた。

 葬儀当日、近親者は上下白いジャージのような服を着、肩から袈裟のような白い布をまとい、腰でその布を縛るという装束で参加する。男性は白いハチマキをし、女性は白い頭巾のようなものを被った。広東オペラのような楽曲を楽団が奏でる中、映画「キョンシー」のような衣装を着た道士が、舞うように歌うように儀式を執り行う。弔いに来る客は各々都合の良い時間に現れ、遺影に3度頭を下げた後、遺族に頭を下げ、遺影に線香をたむける。その度に遺族は定位置に跪き、客に頭を下げる。7人の義父の孫達は、お金に見立てた紙を専用の炉にくべて、火を絶やさぬように見守る仕事を任されていた。火遊び感覚なのか、子ども達はその仕事を楽しんでいるように見えたが、それでも長時間線香とタバコの煙で一杯になった空間から出られない状況は、幼い彼らには苦痛だっただろう。

 葬儀が行われている大きな会場の奥にある小さな部屋に、ひっそりと横たわる義父の亡骸をガラス越しに見、すでにここにはいない義父の魂とは無関係であるかのように形式にそって進んでいく儀式は、残された者達を癒し、けじめをつけさせるものなんだろうなとふと思った。午後3時から始まった葬儀は夜10時近くになってやっと終わった。

 葬儀では、まるで映画の中にいるような、好奇心が沸くのを抑えられないような感覚になる瞬間があった。この日ほど、自分は国際結婚をしたんだということを強く感じることは今までなかったように思う。全く経験したこともない、知識もないことを目にし、耳にするということは、この歳になると少ない。非常に貴重な経験をさせてもらえたように感じる。息子たちも自身のアイデンティティーを再確認する良い機会になったはずだ。特に長男は、儀式の中でも重要な役割を担った。大人っぽくなった長男の神妙な横顔は、すごく頼り甲斐があるように見えた。

 「人は本当に死ぬんだね」義父が亡くなってから、何度かこの言葉を夫から聞いた。共に笑い、泣き、喜び、数え切れない思い出を作ってきた肉親が、空っぽの体だけ残してどこかに逝ってしまう。もう声は届かない。でも、自分の中に父が生き続けていることを夫は確信していた。生きて、その生涯を全うして、この世界から去るという生物の宿命。子や孫に惜しまれながら送られる義父は、人として幸福な終わり方だったことに間違いない。天国が存在するのか、来世があるのか、私は懐疑的だけれど、今を現世を精一杯生きたいと思った。義父が夫に残したような、形としては残らない何かを、私も息子たちの中に残せたらいいなと思った。
 
お父さん、さようなら。そして、ありがとう