—024— 気遣い

白井純子 

愛知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている。

 ベッドに入り、うとうととしかけた矢先、こちらに近づく足音が聞こえた。子供部屋でバタバタしているのは気づいていたので、「来る」と思った。長男が寝室のドアを開け、廊下から入ってくる明かりが眩しかった。「理科と社会のノートがない」新学期早々これだ。夏休みに帰省したので「じいちゃんばあちゃんの所に忘れたんじゃないの」と面倒くさそうに私は言った。すると、夜の11時近くであるのにもかかわらず、ばあちゃんに電話している。「あぁ」と思った。
 忘れものや失くしものが多いことも気になるが、それよりも行動が自己中心的なことの方が問題だ。眠っている人を起こすことに対して気兼ねする様子もない。自分の失敗のために誰かに迷惑をかける時、申し訳ないという気持ちを持って欲しい。
 翌朝私から母に電話を入れた。長男が夜遅くに電話したことを詫びるためだ。でも、母の視点はまるで違っていた。子供のうちから人に気を遣いすぎなくていいと言う。母がこのように話すのは、長男と同じ年齢の甥を見ているからだ。

 甥は心の優しい少年だ。でも自己表現が下手で、気持ちを上手く伝えられない。そして、自分よりも人の気持ちを優先してしまうところがある。困ったことがあっても、忙しい両親に迷惑がかかることを恐れて自分でなんとかしようとする。「助けて」という言葉が出てこない。それを見ている私の母は切なく感じてしまうらしい。「僕が我慢したらそれで済むから」と中学生の男の子が言うのだ。この先どれほどの我慢を自分に強いることになるのだろう。対照的なうちの長男がある意味たくましく見えるようだ。決して優しくないこの社会で生き抜いていかねばならない彼ら、「多少わがままな方が幸せでいられるんじゃないか」と母は言った。
 私はハッとさせられた。「人に迷惑をかけてはいけない」という固定観念があったのかもしれない。それを何も疑わずに我が子に押し付けていたのだ。これは「人に迷惑をかけていい」という意味ではない。ただ、ほどほどに人は迷惑をかけたりかけられたりしながら生きているのだということだ。

 育児の最大の目的は子どもの自立、そして子どもの幸福な人生だと思う。幸せな人生を送って欲しい、だからこそ人に愛される人になって欲しい。人に対する気遣いを身につけさせたい理由は、敵ではなく味方となってくれる人を彼らの周りに増やすためだ。でも、過度な自己犠牲は決して幸せを招かない。
 中学生の男の子なんて、世間知らずでわがままな生き物なのかもしれない。これから挫折や失敗を経験する中で、ほどほどの気遣いを身に付けていくだろう。反抗期だからこそ親子の言い争いも起こるだろうが、母が幸福な人生を願っていることだけは、知っていて欲しいと思う