—025— 被災者になる日

白井純子 

愛知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている。

 経験したこともないような強い風が家の窓を、というよりコンクリートで出来たマンション全体を「ゴーッ」という音とともに何度も揺らした。窓の外に見える隣家の屋根上のテレビ用アンテナが飛んで来るのではないかと、不安でカーテンを開けられない。窓際にいることが怖くなり、家の中心部の廊下に家族で固まってうずくまり、風が過ぎ去るのをただただ待っていた。部屋の電気は最初の強風が吹き始めてすぐに消え、テレビの音がなくなって風の音しか聞こえない空間は、私たちの不安な気持ちを倍増させた。

 風が収まった後も、ロウソクと懐中電灯の明かりの中で食事をした。初日はテントをリビングルームに設置して、ちょっとしたキャンプ気分を楽しめたが、台風一過で晴天になった翌日は、エアコンのない午後のリビングで熱中症になりかけ、慌てて隣町のアイスクリーム屋さんに避難した。大きな高速道路を挟んだ北側にはすでに電気が来ていた。近所のあちらこちらで木が倒れたり、看板が飛ばされたり、信号が傾いたりしている。停電のために信号が使えないので、警察官が交差点で交通整理をしてくれるようになるまでは、危険で車にも乗れなかった。その日は、夜になっても電気は戻らず、電気が復旧していた友人宅にお風呂を使わせてもらいに行った。1ブロック違うだけで、普段通りの生活ができている。普通の日常がどれほどありがたいものなのかを改めて感じた。真っ暗な自宅に戻った後、子ども達は慣れない状況に疲れを感じていたのか、すぐにベッドに入って眠りについた。

 電気が戻ってきたのは夜中の3時過ぎ。ボワーンという電気音がして、家中の明かりが灯った。寝ぼけながらも電気を消すためにリビングルームに行くと、テレビ画面に「北海道で震度6強」とある。夢なのか現実なのか、しばらくボーと画面を見つめていた。「台風が去ってまだ2日と経っていないのに、また震災なの?」テレビを消してベッドルームに戻ったが、その後は一睡もできなかった。

 今年、日本はかつてないほど多くの自然災害に見舞われている。大阪に住む私たちでさえも、巨大地震と非常に強い台風を経験した。岡山県や広島県では大雨のために土砂崩れや浸水で多くの人が亡くなり、今度は北海道で震度7の地震。しかし実は、巨大地震は日本だけで起こっているのではない。北海道の地震の翌日には、フィジー、アルゼンチン、エクアドルと連続して大きな地震が起こっていたのだ。地球規模で自然災害が続発している。どこに住んでいても絶対の安全はありえない時期が来ているのかもしれない。

 私たちは4年前、香港から日本に帰国してすぐに災害用グッズを揃えていた。今回の台風による停電では、この時に購入していた懐中電灯やランタン、携帯電話用の太陽光発電充電器などが役立った。地震の時に買っておいたブロックアイスが冷蔵庫に幾つかあったおかげで、冷蔵庫をクーラーボックスとして使うことができ、食料を無駄にすることもなかった。水とガスが止まらなかったことは、不幸中の幸いというしかない。7年前の東日本大震災や、2年前の熊本地震の被災者の中には、未だに避難所での生活を強いられている人もいる。そして今回の北海道地震で被災された方もこれから前途多難に違いない。私が生まれて初めて経験した2日間の停電ですら、精神的なストレスは大きかった。かけがえのない日常を取り戻せない人々を思うと、本当に不憫だ。
 地球温暖化や地殻変動などによる自然災害は今後も増え続けるだろう。他人事だと思わずに、想像力を働かせて、生き抜くための心構えが必要だと思う。想定外の自然災害がいつ自分の身に降りかかっても決して不思議ではない時代を私達は生きているのだから。