—037—「ご縁」というもの

白井純子 

愛知県出身。大学では国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得し、現在保育士としてパートタイムで働いている

 「運命」だとか「縁がある」とか、偶然だけれども何か意味がありそうな人との出会いの場面でよく使われる。神様だとか仏様だとかが、人間の力が及ばないところで、誰かの人生を操作しているとかしていないとか。そんな特別な力を強く信じる人もいれば、そうでない人もいる。私はというと、正直、多種多様な生物の中で『人間』だけを特別扱いする考え方はあまり好きではなく、様々な事柄に人間中心の考え方による「意味」を加えることには懐疑的だが、それでも、偶然という言葉で済ませられない不思議な経験をすることもある。
 幼児の頃から親しくしている幼馴染から、突然SNSでメッセージを受け取ったのは木曜の夜だった。「今、韓国」と言うので、「誰と?」と返す。主婦である彼女が平日に韓国旅行なんておかしいなと思った。すると、一枚の写真が送られてきた。同世代の男性が穏やかに笑っている写真。その下には見覚えのある懐かしい名前が書かれていた。彼は私が高校生の時に文通をしていた韓国人の少年だった。幼馴染は出張先の韓国で、ディナーの最中に私の名前を耳にし、友達だと告げたことでその場が盛り上がったことを知らせてくれたのだ。彼女はスマホの翻訳機能を駆使して、彼に私のことを伝えてくれたらしい。
 私の幼馴染と、文通相手だった彼とは面識がない。前に一度だけ、彼について話したことがあったが、まさか彼女が30年もの間音信不通だった友人と再びめぐり合わせてくれることになろうとは夢にも思わなかった。全く、人生は面白いものだ。幼馴染の彼女との縁の強さはもちろんだが、文通相手だった彼とも縁を感じないではいられなかった。

 今までに何百何千の人達と出逢っては分かれてきた。その中で、現在に至るまで友人関係を維持できている人は極々少数だ。気が合うのか、価値観が近いのか、彼らは私の心の中で大きな支えになっている。大人になると所謂「おつきあい」というものが増えるが、表面的な会話ばかりになりがちで、人と会っているにもかかわらず孤独を感じることもしばしばだ。だからこそ、不思議な縁で繋がっている本当の友人の存在は、私の人生においてかけがえのない貴重な宝物なのだ。ほとんどの友人が遠く離れたところで暮らしているので、頻繁に会うことはできないのだが、会えばすぐに時間が戻る。ありのままの自分を受け入れてくれる。偶然なのか必然なのか、出会いによって人生は豊かになる。
 クリスマスシーズンなので、数年ぶりに、親しい友人たちにクリスマスカードを書いてみた。eメールやSNSで言葉を送るのとは違う楽しさがある。どんな思いを届けようかと考えて、一文字一文字丁寧に言葉を記す。カードを手に取り、笑顔になる友人を思いながら。どうしてこんなに心が満たされるのだろう。師走の半ば、「ご縁」に感謝し、2018年を締めくくるとしよう