インタビュー くらす香港

くらす香港 捌「香港で日本舞踊を伝えること。水の流れに乗ってたどり着いた私の使命(後編)」若柳智香さん


インタビュー くらす香港

 


くらす香港 捌「香港で日本舞踊を伝えること。水の流れに乗ってたどり着いた私の使命(後編)」若柳智香さん

暮らしてみて見える・感じる香港を各フィールドで活躍する女性に伺いました。

2018年3月 香港で念願の本格的舞台「新春特別日本舞踊公演 」

 

<プロフィール>

職業:日本舞踊家。高知県出身。幼少より日本舞踊を学び、様々な舞台の経験を積む。若柳智寿氏に師事、若柳流一級師範。1990年結婚を機に香港移住。 1999年に若柳流日本舞踊教室「香の会」を設立。 公益社団法人日本舞踊協会会員・高知県支部所属。「若柳流日本舞踊香の会」主宰。 平成30年度外務大臣表彰授与。香港公開大学日本研究課程校外顧問。発表会をはじめ、在香港日本国総領事館主催の国際文化交流事業に参加するなど、年間を通じて様々な舞台に立ちながら日本舞踊の普及と教育活動に務める。

水の流れに乗って

私の日本舞踊の香港デビューは来港して早々のこと、日本人倶楽部邦楽同好会の発表会の場で踊る機会をいただいた時でした。その後、日本舞踊を教えていらした他流の先生がご帰国され、そのお弟子さんを引き継ぐ形で教えるようになりました。これを機に一度はやめたはずの日本舞踊がまた復活しました。また「新年会と流儀講習会の年2回は参加する」ことを師匠と約束して、香港と高知の往来もはじめました。その間に師範を取得し、師匠が主催する会にも出演して参りました。

2000年3月日本人倶楽部邦楽同好会 春のおさらい会。当時生徒7名

 

勤務先の職場では優秀な香港人の若者が増え、次世代へ譲ろうと考えて始めていた折、新会社の立ち上げに加わる話が舞い込みそこへ移りました。しかしその話は実現しないまま終わりました。このことが私の大きなターニングポイントとなりました。その時すでに年齢的にもキャリア的にも一般企業で再就職することは難しくなっていたのです。今こそ日本舞踊1本にして自力で歩いてみようと決意しました。でも資金がない、稽古場がない、生徒も少なく実績がないという状況。ゼロからのスタートとなりました。

 

2016年3月 香港公開大学主催 311 ,5周年「日本舞踊と日本文化」講座の様子

まずは実績を積んで信用を得ることが大事だと考え、講師として大学でワークショップを開催したり、弟子の助けを得ながら苦手なことにも挑戦し、様々な舞台にも立って参りました。生徒募集にあたっては、転勤で異動の多い日本人よりも香港人を生徒のターゲットに絞った方が良いと、香港人向けの雑誌に教室案内の広告を掲載しました。すると予想以上の反響がありました。そこからやっと光が差し込み、少しずつ活動の幅が広がっていったのです。ここまでたどり着くのに、来港してから約20年の月日が経っていました。長い回り道をして、やっと舞踊家になろうと思いはじめた頃でした。

 


香港での素踊り 毎年恒例 香の会主催 日港文化交流-日本舞踊公演にて

 

人生の岐路に立った時、いつも師匠の言葉を思い浮かべます。「水の流れに逆らわず、そのまま流れてみなさい。たどり着くべき場所にたどり着けるかもしれない」と。これまでどちらの方向に進むべきか分からないことが何度もあったのですが、その度にこの言葉を思い返し、「無理に右か左か道を選ばなくていいのではないか。答えが出せなくても水の流れに乗って流されてみよう」と、そう思うようになりました。それと同時に、自然の流れに乗って行き着く先はいつも日本舞踊でした。ですから「香港で日本舞踊を伝えることが私の使命だ」と感じるようになりました。

水の流れに乗って

最近ではZoomでのオンラインレッスンも始めました。昨年の香港では抗議デモ、今年はコロナウイルス。こんな情勢ですので、外出が困難な時も稽古ができるようにと始めてみました。これなら他国に移住した弟子も日本舞踊が続けられます。「Zoomで日本舞踊を教えているのは先生くらいかも」と弟子も驚いています。まだ試行錯誤をしながらですが、どんな状況でも臨機応変に対応できるようにICTを取り入れたレッスンに挑戦中です。

海外で日本舞踊を伝えていくには踊りだけ極めればいいのではなく、プロデュースする力も必要となります。公演の日程や会場決定から始まり、広告、プログラム、集客、演目、衣装、小道具、舞台作り、照明、音響、進行など準備は多岐に渡ります。日本ではプロの方が請け負いますが、香港では日本舞踊の公演開催を一任できる人がいません。何もないところから全て自分で作り出さなければならないのです。それはもう大変でした。でもありがたいことに、各分野で活躍している優秀な弟子たちが助けてくれました。暗中模索の中、多くの失敗もありましたが、1歩1歩、力をつけて参りました。一つの舞台を共に作り上げた苦労も、またそれを実現できた喜びも、弟子たちと共有できる達成感は忘れられない私たちの歴史として刻まれてきました。香港だからできる舞台作り、本当に素晴らしいと感じています。

 

 

2010年1月 最も思い出深い作品 新邦楽 切支丹道成寺 高知にて

 

私を先生として選んでくれた生徒達には、かけがえのない時間とお金を費やしていることを後悔させてはいけないという思いを持って臨んでおります。芸を極めたい人には、その人の長所を見極め才能を伸ばしてあげるようにします。踊りが苦手な人には、ゆっくりと正しい基本を少しずつ身につけて美しく踊れるように指導していきます。日本舞踊を通じて人生に彩りを添え、また仲間と触れ合いながら心が豊になる時間を楽しんでもらえたら本望です。

踊りは一人で研鑽することはできません。人様に教えながら私自身がたくさんのことを学ばせていただき、芸も、自分という人間性も磨かれていくのだと思います。私が最も尊敬する師匠は「私に恩を返す必要はない。その気持ちを弟子や他の人に対して尽力すればよい」と言われました。この香港の地で香港の人たちに、また日本舞踊に少しでも興味のある方々に、師匠から教わってきた多くのことを惜しみなく伝えていきたいと思います。海外において日本舞踊を継承する者としての使命を、今はそのように強く感じています。


【香港に関する10の質問】
1)香港で一番驚いたこと、カルチャーショックだったことは?
マナーの違い、発想の違い。

2)香港のすごい、いいと思うところは?
どんな危機にも対応できる勇気と想像力、発想の転換、決断の早さ 。

3)香港のちょっと残念、嫌だなと思うところは?
人が多い。

4)香港で食べたもので一番美味しかった料理は?
義父が作ってくれた「豉油雞」。

5)苦手な料理は?
鴨脚、鴨掌(水かきのついた鴨の足や手を煮込んだ料理)。

6)よく買うお土産は?
日本に帰ってから人気のお菓子を買う。以前はティッシュカバーやワインカバー、ペニンシュラホテルのチョコレート、XO醤が定番でした。

7)案内する場所は?
TSTの夜景の見える高層ビル。

8)好きな場所は?
スタジオ(教室)。私にとって1番落ち着く場所です。また馴染みのお店。

9)香港で得た一番の財産は?
人とのご縁。ご縁なくては、今の自分はいない。

10)香港で挑戦したいこと、やりたいことは?
香港で日本舞踊の本格的な舞台を定期公演として実現させたい。

<これから香港に来る方・来たばかりの方へ応援メッセージ>
香港人は人情が厚く、困ったことがあれば手を差し伸べてくれる優しい人が多いです。困った時は一人で悩まず、声に出して人に頼ってみてください。助けを求めることも大事です。恐れずにコミュニケーションを取って、自分の気持ちを伝えてみてください。その人が頼りにならなくても、また別の人を紹介してくれます。香港では心の中を言葉に出すことから道が拓けます。香港人は嫌なこと、できないことははっきりNoというので、その時はがっかりしないでくださいね。

<後編あとがき>
日本舞踊というと敷居の高いイメージがあったので、取材時はかしこまった気持ちで若柳智香先生にお会いしたのですが、気難しさは全くなく始終笑顔で話しやすく、またとってもチャーミング!教室の生徒さんたちが和気あいあいとして仲が良いそうですが、その理由もリーダーである智香先生の明るく朗らかな人格が貢献しているのでしょう。これからの智香先生のご活躍にますます期待しています。

取材:龍池千明 March 26, 2020
写真:本人提供

May 15, 2020

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