アメリカ教育事情
プロフィール
華和僑 です。 (華僑と和僑の合成です。)
プロフィールは、海外生活 40年 技術系出身なのに何故か英語が得意。
学生時代からアメリカ人相手の観光ガイドなどでお金をしっかりと稼いでいました。
アメリカ時代は米国の部品メーカーの対日売り込みに参加。日本の主要の自動車メーカーに米国の部品メーカーの技術の社長と一緒に技術通訳として指名をうけました。
このコラムで、息子2人をアメリカの大学に進学させた経験をシェアしたいと思います。
アメリカでの大学進学は金銭面も含めて大変タフな面がありますが、子供の可能性を考えるとひとつの選択肢としては大変有意義な面があります。
大学生活
ちょっと話が脱線しましたが、我が家のことに戻ります。
アメリカは若者に寛大な国です。将来に可能性が少しでもあれば周りがいろいろ応援をしてくれます。
仕事を通じて仲良くなった弁護士に息子の話をしました。
息子のSATの成績はあと50-60点頑張ればハーバード大学にひょっとしてというところまで来ていました。
懇意な弁護士はハーバード大学OBです。息子を自分の事務所にインターンでいれてやるからこの夏休みは毎日きてくれというありがたい申し入れです。そしてSATの英語の得点をあげるべく特訓をしてやるからということでした。
そうこうしているうちにハーバード大学を除く2-3のアイビーリーグの大学からは少しづつ家庭訪問が始まりました。全米の各地区にそれぞれの大学の同窓会組織があります。
彼らの独自のネットワークでどの地区に毛色の変わった子がいる。あるいはインターナショナルな高校生がいる。などなどでそのネットワークに引っかかったようです。
かなり熱心に卒業生がなんども来たのはコーネル大学です。
とうとう根負けして息子はそのOBたちに我が家であう約束をしてしまいました。
OBたちはぜひコーネル大学に願書をだしてくれ。君の成績なら間違いなく合格だから。
などなどうれしい話をしてくれます。
そ の前後に息子の個人的な話では、どうやら白人の学生のアジア人蔑視の陰口事件などがあってちょっとそのあたりが本人を悩ましていたように思います。(真相 はいまだわからずじまいです。) アメリカは寛大な国ですが、米国に来た当初は英語がうまいね。なかなか大したもんだ。などと言われていい気になっていま したが、いざ自分たちの競争相手となると歯をむき出して襲い掛かるという表現がありますが、それに近いものがあります。
英語がうまいね。などいわれている間はまだお客さんなのです。
競争関係、あるいは利害関係が出来上がるとかなりタフな社会だと思います。
息 子も前述のようにテストで高得点をあげていい気分になっているところに水をぶっかけられるような事件が発生したようです。通っていた高校にいくのもつまら なくなるくらいに落ち込んでいました。思い切って子供には手がでないような性能のマッキントッシュのパソコンの最新版を買い与えました。(当時の私にとっ てはものすごい出費でしたが、息子の悩みをそらすのはこの方法だと考えて実行です。)
これはかなり効き目のある対策だったように思います。そのパソコンに夢中になっていろいろ嫌なことが少しづつ頭のなかから消えていくように見えました。
それだけにかなり大学選びは慎重になったようです。
息子の選択肢のなかにはハーバード大学は入っていませんでした。
理由はハーバード大学のエンジニアリングは全米ランキングで7位です。
エンジニアリングのなかでもコンピューターサイエンスが本命でしたので、それなら間違いなくMIT、スタンフォード、カルテックなどが全米のご3家です。
ということでハーバード大学出身の弁護士さんのもうしいれは申し訳なかったのですがお断りをいれました。
コー ネル大学には自宅の真ん前の家の台湾人の息子が入学を果たしました。彼はコーネルで抜群の成績を収めてインデアナの医科大学にはいり最終的にハーバード大 学の医学部で医者をすることになるのですが、その彼の情報では コーネル大学はもっとも入学しやすいアイビーリーグの大学であるが卒業するにはもっとも厳 しい大学という情報がはいっていました。大学の正門には橋が架かっているそうです。その橋の両側には高いネットが張り巡らされている。理由は勉強のむつか しさを苦にした学生が発作的に川に飛び込むのを防止するためだと聞かされていたので、コーネル大学は息子の選択肢になかったようです。
どうやら本人はコンピューターサイエンスの全米のご3家が狙いだったようですが、いかんせんSATの英語の点数があと少しです。それに前述の事件でだんだん勉強がおろそかになっていったようです。高得点をマークしていたSATの平均点が下がり始めました。
そのあたりから息子は私にも家内にも黙って作戦を変更したようなのです。
つまり大学院に勝負をかけるということです。
それからちょっとくらいの成績優秀だとまたいろいろなにか言う人がいるので、今度はそういうことのないようにするためにはどうするか。他の学生が競争相手と思わないだけのダントツの成績をとる。
できるだけ都会にあってインターナショナルな学校にする。そうすれば白人ばかりに囲まれていやな思いをせずに済む。
これらのことを踏まえて最終的に選んだのがボストン大学です。
相 当に裕福な大学とのことです。ハーバード、MITに負けないくらいの年間予算があるので世界的に優秀な教授の待遇はこの大学が一番だそうです。なかでも薬 学部が群を抜いて優秀とのことです。入学をしてどうやら早速自分の決めたことの実行に入りだしたようです。そのおかげで大学4年間で全教科Aを獲得してい わゆるストレートAの学生の仲間入りです。
大学を卒業するときに成績優秀者には3つの賞があります。
サウマカウムラウデ賞、
マグナカウムラウデ賞
ツームカウムラウデ賞
この3つの賞があります。いうまでもなくサウマカウムラウデ賞が最高の栄誉です。
ラテン語で完璧とかいう意味の言葉です。息子のボストン大学の卒業証書のど真ん中にこのラテン語の字がしっかりと入っていました。
ちなみに、ハーバード大学で皇太子妃の雅子さんがハーバードで最高の賞のマグナカウムラウデ賞と新聞で報道されました。でも実はこれは2番目の賞です。でもこれでもものすごいことですが。
サウマカウムラウデ賞の受賞者は全学でわずか6名です。大きな大学ですから卒業生は
修士と博士を別にして4年制の大学部門で3000人以上はいたのではと思います。
卒業式のガウンに首からさげるロープの色がこの6名だけほかの卒業生と違っているとのことです。ところが息子はこの卒業式には参加しませんでした。いうことがふるっています。これくらいで満足はできない。だから出席はしないと宣言をして不参加です。
息子はこの成績をひっさげて堂々と初期の目標のMITの大学院にゆうゆう入学の絵図を書いていたようです。ところがMITもしっかりしています。ちょっと社会経験を積んで来い。
それならこの成績ならばOKだよ。とのことです。
(次回につづく)