アメリカ教育事情

大学までの道のり


アメリカ教育事情

プロフィール

華和僑 です。 (華僑と和僑の合成です。)
プロフィールは、海外生活 40年 技術系出身なのに何故か英語が得意。
学生時代からアメリカ人相手の観光ガイドなどでお金をしっかりと稼いでいました。
アメリカ時代は米国の部品メーカーの対日売り込みに参加。日本の主要の自動車メーカーに米国の部品メーカーの技術の社長と一緒に技術通訳として指名をうけました。
このコラムで、息子2人をアメリカの大学に進学させた経験をシェアしたいと思います。
アメリカでの大学進学は金銭面も含めて大変タフな面がありますが、子供の可能性を考えるとひとつの選択肢としては大変有意義な面があります。

 


大学までの道のり

川のそばを歩きながら、カリフォルニアにいる我が家の息子を思い出して、2人のうち1人でもこんな環境が受け入れてくれるのならどんなことをしても希望をかなえてやりたいと漠然と思いましたが、まだそのときは子供たちは5歳と6歳です。

すっかりとそのときの思いを忘れていました。

子供たちが中学のときにオハイオ州に転勤となりました。

結果的にこの転勤は我が家の息子たちにとっては結構な選択肢を与えてくれたように感じます。

中学から高校時代をオハイオの田舎都市で過ごすことになりました。

これから大学の入学にむけてSATのテストなどいろいろなことが起こっていきますが、私たち夫婦はのんきなものでほとんどそんなことを気にせずに過ごしていました。

子供たちも高校と中学でそれぞれが学年でたった一人の日本人という環境でしたが、なにしろ3歳と4歳のときからカリフォルニアにいましたので、まったくのんきなものです。

また言葉の問題もそんなに苦労をしていませんでした。

ある日突然ワシントンDCから書簡が届きました。たぶんそのあたりからちょっと真面目に子供たちのことを考えるようになりました。

その書簡をよく見るとブッシュ大統領(パパブッシュのほうです)、そして日本でいうところの文科省の大臣、2人のサインが入っていました。どうやら次男がいっている中学で全米のなにかの試験でトップ3%に入ったようで直接我が家にワシントンDCのホワイトハウスから表彰状が送られてきたのです。アメリカはこういう風に受け取った側が感激するような方法で子供たちをハッスルさせるのだと思いました。

全校でその賞状をもらったのは息子とイギリス人のジョンだけでした。

校長が嘆いたそうです。日本人とイギリス人が表彰されたのはうれしいがアメリカ人の子がいないのは大変残念だと学校で言ったそうです。

イギリス人のジョンは息子の最大のライバルです。(彼はイブサンローランの末裔です。

高校からお金のかかるプレップスクールに行きました。そしてハーバード大学に入学です。)

高校に入った息子からジョンがプレップスクールにいくのに僕はいけないの。なんで、なんで、と家内に何度も質問されたようです。(お金がないからいけないの。子供心にそう思ったようです。)ということで次男は地元の公立高校に通い始めました。

アメフトや水泳で活躍をしていた長男はある水泳大会で入賞を果たして、級友から仲間として認められていたので全く心配していませんでした。次男は一人で大工仕事、やプラモデル、パソコンいじりが大好きでどちらかというとあまり社交的ではないことが少し気がかりな子供でした。ただパソコンは自分でソフトを作ったり、ギターで音楽を作曲したりジオラマを作ったり、ギターの塗装を自分で全部塗り替えたり、外にでるよりむしろ家で好きなことをしていました。ほとんど勉強をした形跡がないのです。

そんなことでだんだん本人の高校での大学進学の時期が訪れてきました。

アメリカはみなさんご存知のようにAO入試です。(アドミッションオフィスと呼びます。)

日本のように一斉テストで一発勝負ではありません。

社会活動(病院のボランティア、慈善活動、数学のガンマなんとかという会での活動)など いろんな活動を通して社会性、協調性、そしてリーダーシップ性を判断されるのです。

学力という点ではご存知のようにSATの存在があります。

数学800点、英語800点 満点です。合計で1600点に対して当時ではハーバード大学が

1500点前後、MITで1450点前後と言われていました。

ちなみに1200点で日本を代表する2つの私立大学は合格でした。日本の頂点の大学は1200点を少し超えた子が合格をした実績が当時ありました。

このSATのことを少し述べたいと思います。

まず数学です。日本人の子ならちょっと訓練をうければ800点満点近い点数をとれるように感じました。事実数多くの子はこれで点数を稼いで日本の有名大学に合格をしています。ところが問題は英語です。

両親が高学歴のアメリカ人、および英語環境の家庭と違い、両親が両方ともがりがりの日本語の子供たちははっきり言って英語に接する絶対時間の量が劣っているのです。

気がついたときにはすでに遅しです。

はっきりいって日本人の子で数学を800点満点をとってあるいは750点くらいとして仮に日本の一流に入るためには当時のレベルでは600点とったとして1350点ですのでハーバード大学ではあと150点、MITでも100点足りません。

でもこの1350点ならばゆうゆうと日本の最高峰の大学に入学を許可された子は何人もいました。(たぶん日本の大学はそのころSATの点数を取り入れだした初期のころでかなりラッキーな子もたくさんいたように推察されます。)

はっきり言って日本人の両親の子供が、アメリカの中西部でSATの英語で高得点を目指すためにはものすごい努力が必要と当時は思われました。両親の手に負えないような問題があるようです。(この期に及んでも親父の私は息子たちがどんな試験をしているか全く感知しないのんきな親父でした。)

ところがアメリカの面白いというか変わったとことは知り合いの(カリフォルニア在住)の

知り合い(夫婦とも日本人)娘さんがなんとSATを1600点取った子がでました。

お父さんが日本でいうところの進学塾の経営者でしたので、相当な特訓をうけたようです。

結果を言いますとその子はハーバードはだめで結局コロンビア大学に入学をしました。

たぶん社会活動や課外活動などが評価されなかったように思います。たぶん彼女はコロンビアを卒業したあとハーバード大学の大学院で自分の希望をかなえたと思います。

はっきり言ってアメリカの一流といわれる大学はほとんどの場合私立です。

AOオフィスで合否が決められるので基準がわかりません。

またそれぞれの州立大学はUCLAやOSU(オハイオ州立大学)などなど立派な大学があります。州民であれば特典があり(税金を払っていること)年間授業料が当時で4000ドルくらい。ちなみにハーバード、MIT,スタンフォードのご3家はあの当時でも年間でたしか

年間US$42000ドルくらいはしていました。そしてアパートなどを借りると家賃が月に1500ドルから2000ドルはします。一人でたしか年間に最低でも7万USドル近くがかかるのです。たぶんそれでも学生はかなりきつい生活になると思います。(家賃が高いところではー一年生のときはみんな大学の寮にはいるので良いのですが)

Related Posts

發佈留言