絵本から得られるもの

「海の日」


絵本から得られるもの

絵本を読むこと、読み聞かせること、こんなことをじっくり考えるなんて、ひまな人だろうと思われるかもしれませんが、世の中のお父さん、お母さん、または子どもに関わる人たちにどうしても伝えたくて、分かりきったことかもしれませんが、時間を割いて読んでいただけたら、とても嬉しく思います。

プロフィール :
横井ルリ子さん 教育者教員経験を活かし、個人教授という立場で長年教育に携わる。現代の教育に疑問をもち「母のクラス」「こころのクラス」など独自の教育法を実践。最近は、読み聞かせ、読書、作文など国語教育にも力を入れている。在港16年。

 


「海の日」

 7月20日は海の日だ。
「海の日」が国民の祝日として指定されたのは1995年。私はその存在すら長らく知らなかった。
世界中を探しても、海の日を国民の祝日としている国は日本だけであると言う。
海の恩恵に感謝するとともに海洋国日本の繁栄を願う日。
この「海の日」のおかげで毎年思い出す人がいる。その人とは一度も面識がない。生前、外国船航海士として、七つの海を越え、各国へ足を踏み入れていた男。英語を解さないという彼はアメリカのスーパーマーケットで手に入れた缶詰をキャットフードとはつゆ知らず酒の肴にしていたらしい。「海の日」の施行を待たずに他界した、世界を股にかけていた海の男だ。
私が会ったこともない人のことを毎年思い出すのは、親友だった友人の一言のせいなのだ。
「海の日。お父さんが聞いたら喜びそうな日だわ。」
高校時代、机を並べ共に勉強し、それぞれ別の道へ進んだ。働き始めてからも時折、時間を共有した。その後はそれぞれの結婚、出産を境にしばらく遠ざかり、子育てが少し落ち着いたところで、再びおしゃべりをする仲に戻った。離れた場所で生活しているため、頻繁に会うことはできないが、「海の日」になると青く澄み渡ったすがすがしい海の映像と共に架空の海の男が浮かび上がる。夜の海、嵐の海、海にもいろいろな顔があるはずだが、私の記憶の中の海は、いつも7月の海、入道雲がにゅっと出た夏の海なのだ。

2011年5月28日
ある日の日記より

    

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