カウンセリングルームから見える風景
臨床発達心理士。2012年より香港に移住。個人・カップル・ファミリーを対象としたカウンセリングを、日本語・英語で提供しています。
色々あるけど、毎日幸せです
こんにちは。香港でカウンセラーをしている藤森です。
皆さんは、どんな時に幸せを感じますか?
「色々あるけど、私は毎日幸せです」私はそんな風に感じています。幸せかどうかの分かれ道は、結局のところ、その人の心持ちだったり、日々信じて、実践した行動の結果だと思います。その証拠に、お金があっても「足りない」と思っている人は幸せを感じにくくて、苦労があっても「この瞬間があるから、人生捨てたもんじゃない」って思える人は、幸せを感じることができるでしょう。かくいう私は、自分が幸せだと感じることができます。それは、自分の美しさを信じて、それを表現していく実践から生まれています。
人はそれぞれに恵まれた資質があり、私が何か恵まれているとしたら、それは、人の中に美しさを見出すことができるということです。「人は美しくて、愛おしい」と信じているし、だからこそ、私はカウンセラーを続けています。強さは神々しく、弱さは愛おしい。その二つは相反するものでもなんでもなく、二つが合わさって初めて、立体的な美しさが浮きあがってきます。私は長らく、その美しさを他人の中にだけ見出してきました。そして、それらを相手に伝えて相手の輝く顔を見ようとしてきました。でも、私の言葉は届いても一瞬で、「でも…」、「だけど…」と跳ね返されることの方が多かったです。「あなたは美しくて、愛おしい」と訴えても、「自分が美しくなくて、愛される価値がない」と思っている人には、言葉では届かない。カウンセラーとしてそういう場面をたくさん経験した結果、自分が伝えたい真実は、私自身が実践し、体現していくしかないと思うようになりました。
具体的には、「自分が美しい」と当たり前に思えること。化粧をしているからとか、素敵な洋服を着ているからとかではなく、気持ちよく清潔な身なりでいるだけで、すでに十分に美しい。姿勢もよくなるし、笑顔も自然で、それでいて、たたずまいは凛としたものになる。とどまるべき美しい瞬間を全力で味わえるし、こだわらずに流してしまった方がいい瞬間を意識的に流せる。木々の緑の美しさや子どもとつないだ手から伝わる温かさに、感謝の気持ちをもってとどまれるかどうか。自分が傷ついた瞬間に何ともないふりをしたりしないで、痛みを感じられるかどうか。その一方で、気になる相手の言動におせっかいを焼かずに、程よい距離をもって、見送れるかどうか。自分を大事にしているからこそ、自分にふさわしい幸せをしっかりかみしめられるし、自分にはふさわしくない人や事柄は、流していける。不用意に関わらなくていい。そうしていたら、本当に自分がやるべきことは、くっきりと見えてくる。
このコラムを書くことも、自分の美しさを表現するためのひとつです。不特定多数の人に実名で書いたものがさらされるというのは、不安を感じることでもあります。でも、このメッセージが届いて、自分の美しさや愛おしさが現実のものであると感じられる瞬間が届けられるのであれば、リスクを冒してやってみようと思うのです。
ワークショップも自分の美しさを表現するためにやっています。人前である程度まとまった話をするのは、準備も必要だし、エネルギーもかなり消耗されることです。しかも、1対1でなら相手のニーズをしっかりとらえて話せるけど、1対多は、反応が読み切れないことが多くて、手ごたえもつかみにくい。それでもやるのは、自分の生き方や考え、私の在り方が、言葉以外の次元でダイレクトに伝わる機会だから。受け取る側は言葉だけじゃなくて、エネルギーとしてそれぞれが必要な形で受け取って、それぞれの生活の中で、必要な形で生かされていくだろうから。
その他にも、人前で演じることも美しさを体現するために私ができる実践だと感じています。太極拳や太極剣の練習を重ねて披露する。自意識から解き放たれて、無になって、やってきたものを出し切ること。好きでやっていることだけど、その姿がまた何かを伝えるすべになると思っています。
これらの日々の実践は、豊かさを享受することにダイレクトにつながっています。だから、生きていれば色々あるけど、私は毎日幸せです。これは、「人は美しい、愛おしい」ということを、伝えていくための実践をしたことでの、副産物にすぎないのだけど。みんなが自分の美しさを信じることができたら、もっともっと幸せを感じられると、私は信じています。