カウンセリングルームから見える風景

子を想う気持ち


カウンセリングルームから見える風景

Suomi Fujimori

臨床発達心理士。2012年より香港に移住。個人・カップル・ファミリーを対象としたカウンセリングを、日本語・英語で提供しています。

 


子を想う気持ち

こんにちは、香港でカウンセラーをしている藤森です。
普段はカウンセリングルームでお話を伺うことが多いのですが、ご希望があれば、クライアントの方たちの生活の場に出かけていくこともたくさんあります。今日は、そんな活動を通じて見えてきた、「子を想う気持ち」をテーマに書いていきたいと思います。

カウンセリングルームの外へ出てのお仕事のひとつに、ペアレンティングクラス(子育て講座)があります。同年齢のお子さんを持つ保護者の方が集まった場所で、子どものしつけについて、色々な手法を学んだり、悩みを共有して、解決のためのアイディアを話し合ったりします。子育ての悩みは、とかく、お母さんに負担がかかりがちです。同年齢のお母さんとの集まりの中で、「これって、うちだけじゃなかったんだ」と思えることで、心が軽くなることもあります。また、心理学や行動療法の専門家が使っている技術の中には、親子の負担を軽くしながら、お子さんの好ましい行動を増やしたり、好ましくない行動を減らしたりする方法もたくさんあります。そのような方法を、どんな風に家庭で取り入れられるか、皆で学び、その経過を報告しあいながら、ご自分の家庭にあうやり方を取り入れていってもらうことができます。

私の今、関わっているペアレンティングクラスは、ネパール人のママ達を対象としたものです。トリプルPプログラムという、オーストラリアで開発された子育て手法を、全10回の連続講座の中で教えてきます。毎回、子育てに文化や家庭のあり方がどのように影響しているか、興味深く思う一方で、文化の壁を越えて、毎日の生活の中で役立ててもらえるヒントをご紹介できることに、やりがいを感じています。

香港に住むネパール人は、その多くが、英国統治時代に、傭兵目的でインドやネパールから移住してきています。その方たちと家族が、1997年の香港返還を機に、永住権を取り、今もその子孫の方たちがたくさん住んでいます。また、親族を頼って、あらたにネパールから移住してくる人たちもたくさんいます。経済的には比較的豊かでないこともあって、ネパール人の家庭では、両親ともに長時間労働に従事することが多いです。また、子どもたちは、香港の公立校に通いますが、広東語や北京語など、サポートなしにはついていくことが難しい科目も多く、学校中退や非行など、貧困の連鎖から抜け出ることが難しい現状があります。

地域で見聞きする、学校中退、非行、薬物依存…。そのような身近な青少年の現状に危機感を感じたお母さんたちが、「良いしつけ方法があるなら、子どもが小さいうちにこそ、学びたい」と、仕事の合間を縫って、ペアレンティングクラスに来てくれます。

ネパール人のママからよく聞かれる相談に、以下のようなものあります。

「うちの子は、怒り出すと手がつけられない」

特に男の子に顕著のようです。複数のママか話を聞いていく中で、明らかになったのは、

「男の子は、泣くもんじゃない」
「痛みなんて気にしない。がまんが、大事」

という考え方。日本人にも、とてもなじみのある価値観ですね。

それと同時に、ママたちの発言から、ドメスティックバイオレンス、体罰を伴う子どもへのしつけが、決してめずらしい話ではないことがわかってきました。

怒りの抑圧・暴発、家庭内での暴力…。このようなバラバラとしたピースが、ひとつの絵となって浮かび上がった瞬間がありました。それは、ネパール人の気質や美徳を表現する表現を聞いた時です。

「死ぬのが怖くないと言う男がいたら、それは、ネパール人か、嘘つきかどちらかだ」

つまり、「死ぬのが怖いのは当たり前だけれども、ネパール人の男は、本当に死ぬのが怖くないくらい強いのだ」と、ネパール人男性の強さを誇る表現です。

その資質があったからこそ、グルカ兵として傭兵されて、香港に多くのネパール人が移り住んだのでしょう。また、エベレストを登頂する登山家の荷物を運ぶシェルパとして、過酷な労働に耐えることができるのでしょう。

しかし、コインに裏表があるように、物事の美しさや素晴らしさには、陰になっている部分があります。強さを求める規範や価値観が、痛みや悲しみの抑圧とその結果として、怒りの抑圧につながってはいないかと私は懸念します。傷ついたことを認めないと、それが怒りに変わっていきます。我慢に我慢を重ねた怒りが、思わず漏れ出てしまった時、それは、期せずして怒りの爆発や暴力になってしまうことがあるかもしれません。

「子どもが言うことを聞かないから」
「躾のためには、これが効果的」
「妻が自分に口答えしたから」

理由は何であれ、自分が傷つけられた弱い存在であると感じるよりも、怒りをもって、強い立場にしがみついていたいかもしれない。すでに傷ついた自尊心をこれ以上、傷つけないため、暴力をふるうことが自分を守る防波堤になってしまったのかもしれません。でも、言うまでもなく、暴力を肯定する理由はありません。暴力によって抑え込むのであれば、さらに強い暴力が必要となり、結果的にエスカレートしていくだけです。

「そんなの痛くない!」
「男なんだから、泣かない!」
「それくらい、我慢しなさい!」

子を想ってこそのしつけが、子育ての中で痛みや悲しみを抑圧し、結果、怒りや次世代の暴力に代わっていくとしたら、とても残念なことです。でも、それは「文化だから、価値観だから、仕方ない」のでしょうか。

世代を超えた連鎖をそのまま続けるのも、意識を変えて変化をもたらすのも、養育者の気持ち一つだと思います。実際に、多くのネパール人のママたちは、体罰に頼らないしつけ、こどもの意思や感情を尊重した関わりを実践して、その効果を感じてくれています。

ちなみに、上記の相談を受けた時、私は以下のような対処方法を紹介しています。

  • 「痛かったら、痛いと言っていい」痛みが引くまで、ちょっとそばにいて、手当てしてあげる。
  • 「男も女も、泣くことはある」泣いてもいいけど、落ち着いたら、気持ちや理由も言えるようにサポートしてあげる。
  • 「我慢も大事だけど、あなたも大事」気持ちや欲求をコントロールすることも大事だけど、その気持ちをなかったことにはできません。どうやったら、適切に表現できるか教えてあげることが、その子のソーシャルスキルを高めます。

ネパール人のママたちの子育て、文化は違えど、決して私たちの子育てとかけ離れたものではありません。同じ香港の空の下、子どもたちの成長と明るい未来を願う母の気持ち。そんな美しさに触れるたびに、その人たちの生活の場に入れてもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

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