インタビュー 香港ハンサムウーマンFile

File No. 13 ドレイトン 麻里子 さん


インタビュー 香港ハンサムウーマンFile

 


File No. 13 ドレイトン 麻里子 さん

日本の卒業後、アメリカの大学に留学した際、友人に誘われてフランメンコに出会い、フラメンコにすっかり魅了されてまいました。それまでフラメンコと言えば、バラをくわえて「オーレ!」というステレオタイプのイメージしか持っていなかったのですが、本格的なフランメンコを見て、カルチャーショックを受け、フラメンコを習い始めます。21歳の時でした。

アメリカの大学ではコミュニケーション学を専攻し、卒業後少しアメリカで仕事をした後、帰国し、外資系イベントマーケティング会社に就職。会社勤めをしながら、フラメンコの修行に明け暮れていました。しかし、やはりフラメンコへの情熱は衰えることもなく、仕事をやめてフラメンコ一筋に。日本では、アントニオ・アロンソ(元スペイン国立バレエ団プリンシパル)の元で学び、日本フィルオーケストラ(サントリーホール)や新日本フィルオーケストラ(オペラシティ)などとの共演に、アントニオ・アロンソ舞踊団員として参加。

2002年イギリス人の主人と日本で結婚し、2004年長女を出産。産後は子育て中心の生活で、フラメンコは以前ほど活動的ではなくなりましたが、細々と続けていました。2006年次女出産、2008年長男出産と子育てに追われながらもフラメンコへの情熱は忘れていませんでした。

2010年に主人の仕事で香港に行く事になり、同じ時期に世界的にも有名なフラメンコダンサーのクララ・ラモナも香港へ引越してきたので、迷いなく彼女の元でフラメンコを続けることに。4年半学びながら、彼女と同じ舞台で公演する機会も得られ、アーティストとしての自信もつきました。そして2015年、クロイ・チェン(写真左)という志を共にするパートナーを得て、Esencia Flamencaという会社を作り、フラメンコの指導や公演を通して、フラメンコの普及を目指しています。

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ご存知かもしれませんが、日本はフラメンコ人口も多く、歴史も長い。スペインのフラメンコ界にとって、日本はなくてなならない存在なのですね。フラメンコはとても奥が深く、踊りがメインのように見えますが、フラメンコは三位一体。踊りのテクニックももちろん必要ですが、感情表現や、ギタリストや歌い手との音を通しての一体感がとても重要なのです。そのような魅力に刻々とすいこまれていってしまうのですよね。なぜ、日本とフラメンコ?と思われがちですが、私なりに思うのは、感情表現を出さない文化を持っている日本人にとって、感情がないわけではないーつまり隠れた感情を表に出せる魅力、人間であることを思いださせてくれるフラメンコに魅力を感じるのではないかと思うのです。また、こぶしを聞かせる歌い方が、どこか演歌に通じるものがあるようで、親近感を持たれる方もいますね。それに、日本人は基本的に音感があるのだと思います。フラメンコは靴に釘がうってあり、音を出して踊ります。つまり、フラメンコの靴は打楽器なのです。リズムに合わせて打楽器を使いながら感情を出して踊る・・・魅力的ですね~。

ぜひ多くの方に楽しんでいただきたいです。

 

10の質問

  1. 子どもの頃の夢はなんでしたか?
    子供の頃の夢。。。特別にこれとなく、年の離れた兄がラグビーをしていたので、そのお友達の中に混じって騒いでることが好きで、「◯◯さんと結婚する~」なんていってました。笑 ミュージカルをみると、自分のなかで、「歌って、踊って、楽しそう~!」と密かに憧れていましたね。
  2. 思い描いていた理想、夢はどれか叶いましたか?
    理想や夢とはまた違いますが、アメリカに留学して以来、日本人とは結婚しないだろうな~かつ日本にも住まないかもな~なんて漠然と思っていたので(まさか、香港に住むとは思っていませんでしたが)その通りになったかなという感じです。あくまでも、理想や夢ではないですが、予感していた感じですかね。最初の子供が生まれる前は、かなり集中してフラメンコをやっていたのですが、さすがに妊娠して体が重くなってきた後から頻度がへり、それでも産後2ヶ月後(帝王切開だったので、2ヶ月は運動できず)にはスタジオにもどって細々と続けていました。香港に 引っ越すとわかった時には、フラメンコを諦めないといけないかなと思っていたのです。東京で11年お世話になったアントニオ・アロンソ先生(元スペイン国立バレエ団プリンシパル)に、同時期にクララ・ラモナが香港に引っ越すと聞き、迷わずクララのスタジオに行きました。香港に移って以来、香港の住み込みヘルパーさん文化のおかげで、大好きなフラメンコに携われる時間が増え、妊娠で授かった(笑)体重も落とすことができ、夢がかなった感じですね。4年半、クララのところで学び、クララと一緒に踊りました。今年2015年1月に、パートナーのクロイ・チェンと一緒にEsencia Flamencaという会社を立ち上げることができました。今は、チャリティ・パーティーで踊ったり、4月6月とスペインからアーティストを呼びワークショップを開催し、さらに10月12月に別のアーティストを呼んでワークショップを開催する予定です。来年にはシアターショーを目指し準備をしています。
  3. 将来の夢はなんですか?
    将来の夢?そう言われると、将来まだまだ 先がなが~いイメージがしますが(笑)。とても現実的になってしまいますが、大好きなフラメンコに携われる環境にいる以上、自分の知識、技術をあげ、かつ、たくさんいる優れたフラメンコアーティストを迎え、「フラメンコ」というすばらしい 文化・アートを少しでも多くの人にわかってもらえるような環境作りに協力できればと思っています。
  4. ママとして心がけていることはなんですか?
    子供は今、11歳、9歳、6歳の三人です。この年になると、けんかもしますが、子供たちだけで遊び、協力してくれるので、だいぶ楽になりました。主人がイギリス人なので、13歳からイギリスのボーディングに入れることになるかもしれません。時差もある遠い場所に住む以上、いつでも話せる環境を作りたいと思っています。子供なりに親に内緒にしたいことも出てくると思うので、子供たちには「ママやダディには内緒にしてもいいけれど、兄弟姉妹ではなんでも話せるようになってね。」といってあります。
  5. 女子として心がけていることはなんですか?
    女子・・・あまり、気にしたり、心がけていることはないですね。。。 たまに自分の年齢に気づかされることがあります。つまり、普段は自分の年齢を忘れているのですよね~。
  6. 子育てで一番つらかったことはなんですか?
    最初の子を産んだあと、いわゆる「ポストネイタルディプレッション(産後うつ)」というものになり、常に泣いていましたね。帝王切開の痛み、退院後、実家にはもどらず自宅にもどり、何もわからない中、一人ですべてをしようとして、かつ、義母が産後一カ月後にイギリスから来て一緒にいたのがストレスになり、なんの理由もなく常に泣いてました。3カ月後からヘルパーさんをお願いしてちょっと自分の時間ができ、自分を取り戻した感じですね。
    あとは、子供がサルモネラにかかり、痛みに苦しんでる時、アレルギーで嘔吐が止まらず苦しんでる時、クループで入院した時など、子供が病気の時は変わってあげたいと思うくらい辛かったですね。最近はさすがに病気になる頻度が減りましたね。
  7. それをどうやって克服しましたか?
    ポストネイタルディプレッションは、他の人からのヘルプによって、自分の時間ができたことだと思います。
    子供たちの病気は、お医者様を信じるか、治るまで時間をまつしかないですよね。たまごアレルギーは、知らなかったので、調べてわかって食べるのを控えさせたらはかなくなりました。
  8. リラックス法はなんですか?
    フラメンコ
  9. 好きな音楽、カラオケでよく歌う曲はなんですか?
    フラメンコ、ジャス、ラテンジャズ
  10. マイブームな食べ物、美容法、本なんでも、おすすめを一つ教えてください。
    食べ物は基本的になんでも食べます。コーヒーは絶対飲まないと一日が始まりません。
    美容法は、ダンスですね。やっぱり(笑)

<あとがき>
フラメンコを語る時の麻里子さんは、恋する乙女のように目がキラキラ。ご主人もフラメンコに嫉妬するほどだそう。そんな旦那様に対して、理解を示してくれるので心から感謝しているそうです。
目下、特別ワークショップ開催準備に追われているそうです。ギターと同じ素材(木材)を使ったヒールで皮部分もカラフルで現代的なデザインの靴をスペインから輸入し販売されています。フラメンコの魅力がどんどん広がっていくといいですね。

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☆ワークショップ情報☆
2015年6月18日~29日スペインから特別講師のAndrian Santana(アドリアン・サンタナ)を
招きワークショップを開催します。詳しくはwww.esenciaflamencahk.com
[email protected]
9286-7048
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