インタビュー 香港ハンサムウーマンFile

File No. 8 楊 さちこ さん


インタビュー 香港ハンサムウーマンFile

 


File No. 8 楊 さちこ さん

【中国との出会い】
思い返してみると、子どもの頃から中国的なものに強く惹かれていました。『七色の鹿』という中国の童話の主人公の少女の髪型を見て「中国人になりたい」と思ったり、日本画家の東山魁夷さんの水墨画の風景に憧れる少女でした。学生時代にはスタイリストやファッションデザイナーを目指しファッションの勉強もしていましたが、デザイナーの森英恵さんが結婚後、デザインの勉強をしたのちにデザイナーとしてデビューしたという経歴を知り、自分のなりたいものへと先を急がず、まずは世界を見てみよう、と思い添乗員の道を選びました。

【添乗員に】
その頃は本当に世界中を飛び回わっていました。「真珠クリームとの出会い」があったのも添乗員時代でした。上海にある友誼商店(外国人専用お土産物デパート)の1階の漢方薬売り場で、鹿の角や、熊の胆など高級漢方薬材と同じガラスケースの中に、芭蕾真珠クリームを見つけたのです。そこで生まれた疑問が①真珠って飾るものなのになんでクリーム?②どうして漢方薬材とおなじところにあるの?このどうして?が、中医美容学へのきっかけになったのです。

【中国留学】
世界を見た中で、やっぱり中国に惹かれました。中国語ができないというのがとてもストレスフルで、通訳を介することなく直接話ができるようになりたい!と思いました。キチンと語学を学ぶためには、日本人の少ない学校の方がいいと思いました。それで、添乗をしながら、調べて行くと、広州の曁南大学が候補に挙がりました。香港まで、電車で3時間と近いのも気に入りました。ものすごく勉強しました。また、ガイドのアルバイトもしました。1年ちょっとである程度はしゃべれるようになりました。この大学は、華僑の寄付によってできた大学で、留学生としては、インドネシア、タイ、モーリシャス、北朝鮮、ハワイ、香港、日本の華僑などがいて、いろんなイベントがありました。大金持ちも多く、じいや付きや、フィアンセと一緒に留学というのもありました。その大学の図書館の先生の子供が小学生で私が中国語を学ぶのにピッタリでした。ホームステイではないのですが、よくそこのおウチで食事をご馳走になりました。おばさんが、天気や季節に合わせてスープや食事のメニューを考えているのを見て、「医食同源」に興味を惹かれました。(中国の大学は、学生、先生たち、そこで働く人たちが大学内に住んでいました。子供たちのための幼稚園、小学校もありました。)

【驚きの出来事】
1月のある朝5時に運動場に集合と、タイ人留学生から招集がかかりました。「なんでそんなに早くに運動場に行かないといけないんだろう?」と思いながらも、招集がかかると言うのはよっぽどのことなんだろうと、出かけました。すると、そこには100人以上のひとが集まっていました。とても小さな声なのですが、皆にしっかり聞こえる声で話が始まりました。その話を始めたのは、背が低い纏足のおばあちゃん。
「まだ、春には間があるけれど、私が、ひとあし先に春の匂いをみなさまに差し上げましょう!」と組んだ腕を広げるようにしたその時、あたり一面に梅の香りが広がりました。そう、気功の一種である、【香功】だったのです。太極拳の授業もあったのですが、太極拳の最初のポーズは、見せかけではなく、本当に珠を抱いているのだと言うことも体感しました。とにかく、いろんな不思議が当たり前の如く、そこには存在していました。

【漢方化粧品】
広州に住み始めてしばらくすると、手持ちの化粧品がなくなりました。スキンケアアイテムは必需品。湿度が高いときとカラカラになるときが交互にくるような広州では、なくてはならないものでした。その時に思い出したのが、芭蕾真珠クリーム。これは、中国では大ベストセラーらしく、高級店では、どこでも手に入りました。とてもフローラルなニオイがしたのですが、使ってみると肌はしっとりつるつるになりました。

【香港でガイドに】
中国語がある程度しゃべれるようになった私。最初は日本に戻ろうと思いました。仕事を探してみると、あるにはあるのですが、中国語を活かせるものは、元の添乗員しかなく、元に戻るのは、何かが違う!と思ったので、香港に行くことにしました。
添乗員として、何十回も香港に行っていました。その時に、心に残る言葉がありました。それは、ツアーでビクトリアピークに行った時のこと。昼と夜の景色を見たのですが、ある一人のガイドさんが、夜景を見に行った後のバスの中で、「香港は小さいので、お金持ちのおウチと貧しい人のおウチが混在しています。だから、ビクトリアピークから見える昼間の景色はごちゃごちゃした感じだったでしょ?でも、夜になると、そのごちゃごちゃを闇が隠して、お金持ちの家から出る灯りと、貧しい人の家から出る灯りが一緒になって、この香港の百万ドルの夜景を作っているのです。」というようなことをおっしゃられました。私は胸を打たれるとともに、いつかは私がマイクを持ってこの話をしたい!と思いました。それを思い出したのです。それで、香港に行ってガイドになることにしました。

【個人輸入の仕事】
香港に住み始めた時に、ある日本女性と知り合いました。その彼女が見つけてきた仕事が、その時設立された日系通販会社の現地法人での仕事。幾度となく彼女から「うちの社長と副社長に会って」と言われました。会っても、交わるものはないし、時間を取っていただくのは迷惑に違いない!と思いずっと断り続けていたのですが、彼女があまりにもしつこく、毎日電話をしてくるものだから、会うことにしました。
社長と副社長はご夫婦で、副社長は本社の社長のお姉さんでした。それで、少し話すと意気投合し、その翌週に、本社の社長たちが香港旅行にくるので案内して欲しい!と言われました。それから、いろんなもの探しのお手伝いをしていました。ガイドの仕事がとても忙しくなり疎遠になっていたこともありましたが、社長のご長男が私と同じ年で、話がとても合いました。それで、あるときに、「バスの中で話せるのは多くても45人、ボクと一緒に仕事をしたら、文章でだけれど一度に何十万人のひとに話せるよ。社員としてではなく、会社を作ってあげるから契約という形ではどうだろう?」と言われました。

私にとって、ガイドは天職だと思っていたのでビックリしましたが、夫に相談すると、「こう言う形態の旅行業はあまり長く続かないと思うから移ればいいよ。」と言われました。その頃の日系通販会社では、ブランド物を中心とした個人輸入などをしていました。

ブランド物の価格が、バックやアクセサリーだけでなく、化粧品も、日本と香港ではかなりの違いがあったのです。でも、ブランド物は、誰にでもできることなので、違うものを探そうと言うことになりました。そこで提案したのが、芭蕾の真珠クリームなど、中国コスメと言われるもの。ツアーバスの中でもキチンと説明すると飛ぶように売れていたものです。カタログを作って日本のメンバーの方たちに送ってみると、ビックリするくらい売れました。では、商品を増やしましょうと、アジア各国に探しに行きました。一世を風靡した「海藻減肥せっけん」は、中国海南島のよろず屋さんで見つけました。今では日本で当たり前のように言われているインドネシアの「ジャムウ(インドネシアハーブ)」から作られたスキンケアを最初に日本に紹介しました。

【中医美容学への道】
「自分で見つけて、自分で使って、自分で交渉して、自分で文章を書いて・・。」と言うのを繰り返し、世界の化粧品の基準に沿うことの大切さを追求して行く中で、成分ひとつひとつについて『なぜこれが効くのかを知りたい』と思い始めました。
真珠がどうして美肌なのか?海藻がどうして痩せるに結びつくのか?などなど、たくさんの疑問が生まれました。その疑問を解決してくれると思ったのが、漢方ハーブについて勉強することでした。当時香港では、アロマテラピーのイギリスの資格は2年の勉強で取得できるので、きっと漢方ハーブについてという勉強もあるに違いない!と。すると、ある香港の漢方薬協会の会長が、「漢方ハーブだけではダメだよ。どういう風に人に働くかをしりたいのであれば、もっと基本から学ばないとダメだよ。」ということで、中医学を学ぶことになりました。当時香港では、法律の改正に伴い、南京中医薬大学のお勉強講座が香港で開催されていました。香港で学びながら、スクーリングに南京に行ってという日々が続きました。仕事もしながら、出産もしながらだったので、本当に本当に大変でした。中国語を勉強し始めた時よりも、ガイドを始めた時よりも大変でした。大きな円形脱毛症ができたくらいです。

【養生とは】
私にとっての中医学は、西洋医学との対局にあるものではありません。インドにアーユルヴェーダというのがありますが、それを日本語に訳すと「生命の科学」。いつまでも元気でキレイに生きて行くためのメソッドなのです。その根底は中医学とほとんど同じです。
そして中医学は、「不老長寿、すなわち、若さを維持していくためのメソッド」。
モチロン病気も治しますが、それよりも、病気にならないように、毎日を養うこと(養生)、すなわち、毎日の習慣の継続をすることなのです。
それには、見た目も、体の中も、心も関係してきます。そのバランスを中庸に保つ方法を伝えて行きたいと思っています。

【死なない子に育てる】
プライベートでは、ガイド時代の勤め先だった旅行会社の社長秘書(当時)と結婚。1997年に息子を出産、5歳までは子連れで海外出張をこなしていました。息子が小学生になってからは、出張する時には「3つねんねしたら帰って来るからね」というふうに言い聞かせて出かけました。四六時中一緒にいられるわけではないけど、約束したことは必ず守ると心に決めています。現在、ナーサリーから通っているインターナショナルスクールの11年生になり、出張で家を留守中は小まめにフェイスブックをアップし、私の動きが見えるようにしています。私のポリシーである「一旦始めたら続けること」を息子にも事あるごとに教えています。子育ての軸は【とにかく死なない子に育てる】こと。
水泳(溺れないように)・言葉(英語、中国語、日本語に精通する)・仕事(自立して生活していける)の3つです。

子育ての極意ではありませんが、子どもを一人の個人として扱い、ものごとを決めつけずにいろんな選択肢を提示し、一緒に考えるのが大切だと思います。その考え方は仕事や家庭だけでなく、どんな場面にも通用するんです。だから誰に対しても偉そうにせず、謙虚で素直でいることを心がけています。

 

☆このインタビューを読んだ方へのメッセージ

目紛るしく変化する環境でも自分を見失わないように
「いやなことでも楽しいように」
「あげているようでもらっている」
「出来ることはすべて準備する」
をいつも私は心にとめています。
香港での生活、仕事、子育ては大変ですが、きっとやっていけるはずです!

 

10の質問

  1. 子どもの頃の夢はなんでしたか?
    スタイリスト、『七色の鹿』に出てくる少女
  2. 思い描いていた理想、夢はどれか叶いましたか?
    母がなってほしいと願ったことはほとんど実現できました。本を出す、TVに出る、など。
  3. 将来の夢はなんですか?
    蔡蘭さんのような本物がわかる目利きになりたい。小説を書きたい。
  4. 子育てで一番つらかったことはなんですか?
    出張で息子と一緒にいられなかった時。
  5. それをどうやって克服しましたか?
    何日で帰って来ると約束したら、それを守り信頼関係を大事にすること。最近ではフェイスブックでお互いの動きをシェアすること。
  6. ママとして心がけてることは何ですか?
    子どもを一人の個人として接すること。
  7. 女子として心がけていることは何ですか?
    自分をおばさんと言わない、言わせない。「どうせ私なんか・・・」という後向な発言はNG。
  8. リラックス法はなんですか?
    複数のタスクがあれば、1つのタスクを一気にかたづけるのではなく、疲れを感じたら別のタスクへと順繰り作業することでリフレッシュでき、よってイライラがなくなるのでリラックスできます。
  9. 好きな音楽、カラオケでよく歌う曲はなんですか?
    ハクション大魔王。(チャンスがあればぜひ!)
  10. マイブームな食べ物、美容法、本なんでも、おすすめを一つ教えてください。
    背伸びを朝、晩30回。つま先に体重を乗せることで腎臓を活性化、お腹の引き締め、ヒップアップ、姿勢の矯正、いいことづくしです。

<あとがき>
とにかくお話が上手でついつい引き込まれてしまいます。「人の3倍やって倒れてからが始まりです」「一旦始めたら続けること」など自分のゆるぎないポリシーをおもちですが、謙虚で押しつけがましくなく、好奇心旺盛で夢を語るときはまるで少女のような佇まい。年齢的にはちょっと先輩ですが、体にいいこと、ココロにいいことを重ねて楊さんのような可愛いお姉さんになれるかな、と楽しみになってきました。
楊さちこさんのブログにてきれいの秘訣更新中。

楊さちこ(Yu Sachiko)
南京中医薬大学教授
南京中医薬大学東方美学研究院院長
世界中医薬学会総合会亜健康専業委員会常務理事
香港中国医薬学会理監事会海外部副主任
香港中国医薬学会理監事会漢方美容部主任
香港中薬聯商会「草本安全標準委員会」顧問

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