ちゅったんの香港おばば

子離れ、親離れ


ちゅったんの香港おばば

マミーと私、ときどき愉快な親戚たち

C家に嫁いで18年。オットは男ばかりの5人兄弟の末っ子。実の娘のように可愛がってくれるマミーとの関係は良好。あまり親しくない人からは「香港おばばと同居大変でしょ」と同情されるけど、この異文化交流を楽しんでます。マミーのほうがよっほど気を遣っているようです。マミーは、(ときに度を越した)世話好きで、変なところに潔癖で、義理人情に厚く、せっかちで、記憶力がよく、歴史好きで、料理嫌いで、かなり頑固で、行動力のある人だ。男に生まれた方が幸せだったかもしれない。面倒見がいいので、80歳を超えても息子たちの家族のために世話を焼いている。そのせいで、うちの家族は兄たち家族のトラブルにいつも巻き込まれている。香港では家族の付き合いが濃いので、それもしょうがない。そんな日常のエピソードを、気まぐれに連載しています。

 


子離れ、親離れ

2月に一人暮らしを始めたマミー。
一番ショックを受けてたのは、オットだったかもしれない。
一人暮らしはマミーの長年の願いと知っていた私は、やっと実現してよかったねという気持ちが強かった。
引越当初は、一日置きにやってきて家事や子守りをしてくれたけど、徐々に回数も減って、自分の時間を楽しんでいる模様。

マミーを見てると、年をとって少しずつしがらみや余計な荷物を減らしているように見える。
前までは、5人の息子たち家族をあれこれ心配してたけど、
「息子たちには会わなくて結構。孫の成長が一番の楽しみ。」
とオットを目の前にして言うので、夫はがっかりしている。
マミーは今やっと子離れしたんだな~と思う。

一方、オットはマミーが出て行くまで一度も離れて暮らしたことがないので、親離れしきれていない。
オットはは紛れもないマザコンだけど、彼がマミーを特別大切に思うのは、きっとこんな理由からだと思う。

マミーは自分の夫がロクデナシと気づいたのは、子供ができてからだった。
けど、これは自分の運命と思って離婚しなかった。
最初に授かった子は男の子で、子供ができる度に次は女の子と望み続けて5回目の妊娠。
マミーの夫はお金を家に入れないので、女手一つで4人の息子と姑を抱えて、マミーの収入だけで暮らしていた。

貧乏暮らしを知っていた産婆さんに「次が男の子だったら、里子に出したら?」ともちかけられた。
子供に恵まれない裕福な夫婦がマミーを見て気に入って、男の子が生まれたら是非譲ってください、お礼も十分しますから、と正式に申し入れてきた。
マミーは悩んだ末、女の子だったら手元において男の子だったら手放そうと決心した。
日々の食事もままならない貧乏暮らしをさせるより、裕福で不自由のない暮らしのほうが幸せだろう、と苦渋の選択だった。

生まれた子は、またまた男の子。
養子に行ったらもう二度会えないからとよく顔を見ると、色黒でちっちゃくてお世辞にも可愛いとは言えない赤ちゃん。
何だか急に不憫に思えて、丁重に養子の話を断った。

多分、こんな経緯もあって、親子の絆を深く感じてるんだろう。
まだ親離れしたくなさそうなオットに対して、マミーは子離れして晴れ晴れした様子。

でも、もしかして一人暮らしは夫や私への思いやりからかな?と最近気づいた。
オットは長男ではないのに、成り行きでずっと一緒に暮らしてたけど、自分がもっと年老いて介護が必要になったとき、同居してたら私たち夫婦だけが損な役目を引き受けることになると見越して、出て行ったのかも。
深読みしすぎかな?

(余談)
5人目が男でがっかりしたマミーが産婆さんに
「貧乏だし、もう子供は産みません。女の子は諦めました。」と言うと、
産婆さんが、
「あなたの体の造りは男の子しか生まれないからね。」
マミー、
「もっと早く言ってよ、わかってたら5人も産まなかったのに。」
産婆さん、
「こっちも商売だからね。それ言ってたら、産まないでしょ。」
オットや兄たちは、この産婆さんの商売根性のおかげでこの世に生まれでたのだった。

Related Posts

發佈留言