香港子育て回顧録 -これまでも、これからも
白井純子
愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。
2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。
2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。
結婚紀念日
「今度の結婚記念日は何かお祝いしよう」と夫が数ヶ月前に言った。今年の5月は結婚20周年記念だ。結婚記念日もお互いの誕生日も忘れてしまうことが多く、イベントごとにはあまり重きを置かない夫婦だが、20年という節目の年を迎えることもあり、珍しく夫が結婚記念日を意識したようだ。しかし先日「やっぱり仕事が入ったから、お祝いは夏にしよう」と夫が電話してきたので、きっとまた記念日を特に意識することもなく忘れてしまうんだろうなあと思った。
私の両親は結婚に反対だった。夫と出会った留学中、天津の下宿先で受け取った両親からの手紙は「国際結婚をするのなら親子の縁を切ることさえも考えている」という内容で、あまりの衝撃に頭が真っ白になったことを覚えている。それほど私の実家は保守的な家庭だった。夫は「会いに行く。僕に会えばきっと好きになってくれると思う」と病的なまでにポジティブで、すぐに天津発神戸行きのフェリーのチケットを買い、二人で出発した。貧乏学生だったので、飛行機のチケットを買うお金はなかった。3日間かけて日本に着くと、神戸に住んでいた友人宅に泊めてもらった後、私の実家に向かった。母はいまだに言う「あの笑顔を見たら、悪い人じゃないな、もう許すしかないなと思ったよ」と。そして「あの時に反対しなくて本当に良かった。人生は分からないものだね」とも。そう、人生は過ぎて見なければ、その時の選択が正しかったのかどうか判断できないものだ。
香港で入籍をする際、義理母が「うちはお金がないけど本当に結婚してもいいの?」と真面目な顔で私に言った。香港では結婚をする時に婿の家から嫁の家にお金を払う風習があることを知らなかった私は、義理母の質問にただ驚いた。結婚とお金が頭の中で結びつかなかったのだ。不思議な質問をするなあと思った。若く、希望に溢れた私たち夫婦は根拠のない自信に満ちていて、幸せになることしかイメージできなかった。夫婦ともに無職で入籍し、仕事を見つけ、働き、一歩ずつ二人で夫婦の形を築いた。
結婚2年目で私が良性腫瘍の摘出手術をし、その2ヶ月後には夫婦でカナダに短期留学した。その後東京で長男を生み、香港に戻って次男を産んだ。次男が乳児だった頃、初めて大きな夫婦喧嘩をした。夫は仕事に行き詰まり、私は幼子ふたりの世話で、お互いが精神的ストレスを感じていた頃だった。そして、喧嘩直後に家族で乗ったタクシーが事故を起こす。誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いだった。なぜか私は「これで厄が落ちた」と感じた。うまくいかない流れをこれで終わらせられると直感的に感じたのだ。
変化を好む私たちは、幸せの匂いがする方へ常に進んでいく。その先に何が待っているのかは分からないけれど、きっといつか、それが正しい選択だったと思える日が来ると信じて。結婚20周年はただの通過点にすぎない。後悔のない今を過ごせることを、夫に感謝したいと思う。
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