香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

雨上がりの虹

雨上がりの虹

香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

白井純子 

愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。

2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。

2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。

 


雨上がりの虹

夫が香港に帰国してからの2か月間、バンクーバーではほぼ毎日雨が降った。実際に太陽を拝めたのは数日のみだった。

ただでさえ朝8時まで日が昇らず、夕方4時過ぎには日が沈んでしまう季節。それは、長くて暗いトンネルの中に閉じ込められてしまったような日々だった。

もちろんパンデミックも暗い影として私の心を覆った。その上、これでもかというほど様々なトラブルに襲われた。

次男が突然全身に蕁麻疹を発症し、クリニックに診察予約のための電話をかけたところ、パンデミックの影響で来院型の診察は行っていないという。アレルギーによるものなのか、感染性のものなのか、確かめるすべもない。電話での診察を受けたのだが、「薬局でこの薬を買いなさい」という指導を受けただけだった。

幸い数日で収まったのだが、しばらくは再発を恐れながらの不安な日々を過ごした。

その数日後、銀行から電話があり、私のクレジットカードが不正なアクセスを受けたという。一旦キャンセルをして再発行しなければならなかったのだが、手元に届くまで2週間を要した。

また、夫が香港から子ども達にEMSで送ってくれたクリスマスプレゼントが1か月以上も届かない。荷物の位置を追跡してみると、一旦バンクーバーに届いた荷物がトロントに再送されていた。子ども達は郵便受けを覗くたびに落胆した。理由は分からないが、郵送の荷物が到着するのにいつも想像を超える時間がかかる。

極めつけはマイカーのパンクだ。幸い、車いじりが得意な友人がおり、彼が駆けつけてくれたため、スペアタイヤを使って子ども達の学校への送迎はすることができた。

年の瀬に怒涛の如く押し寄せた小さなアンラッキーが、ボディーブローのように私の心に効いてきていた。

日本にいる家族に心配されるほど、精神的に落ち込んでいたと思う。そんな折、弟が電話で「新しい年が来れば運気が変わるよ。そんなのあたりまえじゃん」と自信満々に言った。

どこからそんな確信を得ているのかよく分からなかったけれど、その言葉を信じることで年末の2か月を乗り越えられたと今になって思う。そして待ちに待った2021年の到来とともに、私のアンラッキーも去っていったように感じる。少なくとも、今年に入ってから思い出されるようなトラブルに見舞われてはいない。

年が明けてしばらくした頃に新しいクレジットカードが届き、友人がボランティアで車のパンクを修理してくれた。

そして、夫からのクリスマスプレゼントも2月に入ったばかりのころにようやく届き、紛失を心配していた子ども達も笑顔になった。

開けない夜はない。やまない雨はない。というが、本当にその通りだと思う。暗く長いトンネルを抜けた先には、輝く虹が待っている。

バンクーバーでもようやく日が長くなり、晴れの日が増えた。光の中ですがすがしく輝く街並みは、移住してきた当初の気持ちを思い出させてくれる。あの頃の私は確かに、期待と希望にあふれていた。そして今また、次に出会う未来の何かに期待を寄せ始めている。

パンデミックをはじめとする様々な禍が続いた2020年。まだトンネルから抜け出せていない人々が大勢いることを私は知っている。

私が経験したアンラッキーなどとは比べ物にならないほどの苦境の真っただ中にいる人がたくさんいることを。そんな人々にも一刻も早く希望の光が届くことを心から願ってやまない。

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