香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

記憶

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香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

白井純子 

愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。

2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。

2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。

 


記憶

私の実家近くには森に囲まれた神社がある。私が幼児の頃に通っていた保育園へは、この森を抜ける道を通らねばならず、昼間でも薄暗いこの道はなんとなく怖かった。

 

ある雨上がりの午後、いつものように保育園からこの道を通って家へ帰ろうとしていた。周りには自転車を引く母と、弟、数人の知り合いもいたように思う。いつもはほとんど車など通らないこの森に、数台の車が並んで何かを待っている。私は先に何があるのか覗きに行った。すると、神社の階段に続く小道と車道が交わった場所で、トラックよりも大きなカタツムリが、ゆっくりゆっくり神社を背にして南に進んでいた。夕陽のさす木陰の中を移動する大きな大きなカタツムリが道を渡りきるのをみんながじっと待っていたのだ。記憶はそこで終わる。そのあと何があったのか、何を話したのか、覚えていない。ただ、あまりにも鮮明な記憶だったので、数十年間疑うこともなく事実だと思い込んでいた。数年前にふと思い出し、「こんなこともあったよね」と母に話すと、「そんなこと、あるわけないよ」と言われて驚いた。何よりも、今まで実際に起こった出来事だと信じていた自分に驚いた。トラックよりも大きなカタツムリなどいるわけがない。あれは一体何だったんだろう。

 

「となりのトトロ」という映画を見ると、あの大きなカタツムリを思い出す。サツキとメイが森で出会ったトトロは大人には見えない。あのカタツムリも大人には見えなかっただけなのではないか。私にだけ見えていたあのカタツムリは、神社から出てきた神様だったのではないか。いつか機会があれば、あの神社とカタツムリに何か関係がないか調べてみたい。

 

私は人よりも幼少期の記憶が多い。子どもの頃に見ていたテレビ番組の主題歌を今でも歌えたり、幼児の自分が写っている写真を見ると、その時の状況を覚えていたりする。一番古い記憶は、寝返りが出来ない自分が畳の上に寝かされていて、とても高い場所に色々な光を発する四角い箱があったこと。恐らく、それはテレビだったのだろう。ただぼんやりとしか見えていなかったのは、まだ視力が弱い乳児だったからだと思う。瞬間的な場面としての記憶だが、体が動かせないもどかしさのような感情があったことも覚えている。2歳の時に家のお風呂が壊れて銭湯に行くことになった時、私は父と男風呂に行くのが嫌で泣いた。でも、泣く理由を説明できなかったので、母の記憶では私がただ泣いて嫌がったことしか残っていない。大人になってからあの時のことを説明したら、驚いていた。

 

記憶は、忘れてしまうことはなく、思い出せなくなるだけらしい。死の直前に走馬灯のように記憶が蘇ると聞くが、あながち嘘ではないかもしれない。ありきたりな毎日も全て、私たちの脳はデータを保存していく。そして今日のこの時も、またすぐに思い出に変わっていく。夕日さすこの部屋で、子どもの歌う声を聞きながら、パソコンと向き合うこの時間もずっと忘れたくない。

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