香港子育て回顧録 -これまでも、これからも
白井純子
愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。
2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。
2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。
Halloween
日本でも定着し始めたハロウィン。渋谷のスクランブル交差点で大騒ぎして逮捕される者が出たり、大阪道頓堀で若者が橋から川へジャンプしてニュースになったりと、西洋文化の取り入れ方にはやや問題がある気もするが、子ども達が仮装して「trick or treat」と練り歩く様子は微笑ましい。ワクワクするような楽しいイベントはたくさんあったほうが良いと個人的には思う。
香港に住んでいた頃、長男が幼稚園に通い始めて最初のハロウィンパーティー。それまでハロウィンという言葉は聞いた事があるけれど、具体的に何をするかという知識が全くなかった私は、「いつもと違う服を着ていくらしい」という程度のぼんやりとした情報で、彼にフォーマルスーツを着せてしまった。幼稚園から帰ってきた長男の機嫌が悪く、何か違ったみたい…と思ったことを覚えている。あの頃の日本人のハロウィンに関する知識なんて大概そんなものだっただろう。
カナダで迎えるハロウィンに一番期待していたのは私だった。ハロウィン前日に「仮装グッズを買いに行こう」と次男を促し、下校すぐにショッピングモールに向かった。低かった次男のテンションを上げるべく、賑わうハロウィンコーナーに紛れ込む。骸骨や魔女の帽子、目玉のグミやゾンビのマスク、次男のテンションはみるみる上がっていった。あれやこれやと目移りしながら彼が選んだのは、海賊のハットと海賊の頭蓋骨、そしてカラスの人形だった。
ハロウィン当日、海賊ハットに似合う洋服を選び、バックパックに骸骨をぶら下げ、肩にカラスを乗せた。それでも学校に到着するまでは「本当にみんな仮装してくるのかなあ」と心配そうだった次男だが、学校が近くなり車の窓から他の子ども達が登校してくる様子を見て「浮いてない」と思ったのだろう、恥ずかしがらずに車から降りて行った。
下校時刻に学校に迎えに行くと、私を見つけた彼が駆け寄ってきて、学校で見た様々な仮装の話をいっぱいしてくれた。子ども達ばかりでなく、先生達も仮装をしていたらしい。しかもこの日は授業もなく、このイベントで1日が終わったそうだ。そして次男は「僕、来年は本気で仮装するわ」と鼻息荒めで言った。映画「IT」のピエロに扮して来た子がいて、その仮装があまりにも完璧かつ、その子はこの日1日ほとんど笑わずにピエロになりきっていたことにえらく感動し、来年はそのクオリティーを目指すということらしい。私は「来年はもっと早いうちから準備しなきゃね」と答えた。なぜだか嬉しい気持ちになった。考えてみるに、私は子ども達が何かに積極的に参加しようとする時、楽しいと思えるものを見つけてくれた時には、テンションが上がる。そして全力でサポートしたくなる。冷静になれば、ハロウィンの仮装などに労力やお金をつぎ込むなんて大して意味はないのだが、『人生は楽しんだ者勝ち』と言う私のモットーが私を駆り立てているのだろう。
ハロウィンの夜はあちらこちらで花火が上がり綺麗だった。死者がこの世に帰ってくる日に見る花火、それはまるで日本のお盆のようだと思った。自分でかぼちゃを削ってランタンを作り、それにろうそくを灯してみたら、その灯火が柔らかくて、ほんわかとした気持ちになった。人間って、どの国でもどの宗教でも基本的にはみんな同じだなあと感じた夜だった。