香港子育て回顧録 -これまでも、これからも
白井純子
愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。
2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。
2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。
お姉さんじゃないんです!
最近ものすごく心に引っかかることがある。たわいもない、どうでも良いことなのだが、毎回ものすごく気持ちが揺さぶられる。それは、「お姉さん」と呼ばれること。申し訳ないような、気恥ずかしいような心持ちになるのだが、呼ぶ側はいたって真面目な顔だ。そして、私をそう呼ぶのはほとんどが年下の女性なのだ。彼女たちが私を「お姉さん」と呼ぶたびに、否定するのも肯定するのも違和感があり、うまく聞き流して気にしていないふりをしている自分に気づき、動揺する。ああ、自分で「お姉さん」と呼ばれるのに無理がある年齢になったことを自覚しているんだなあ…と思う。本当にお姉さんに見えてる?呼び方に困って、お世辞交じりの「お姉さん』?「おばさん」って呼べないもんね。アラフィフになると、精神不安定だ。
パートで働く産婦人科クリニックの託児コーナーでは、保育士の「先生」と呼ばれるのが一般的だ。私自身も子ども達に「先生にも見せて!」などと話す。大した経験もないので「先生」というのも恐縮なのだが、一時預かりの業務のためにいちいち名前を覚えてもらうこともしない。「先生」は呼びやすく、親しみもある呼称だ。抵抗なく受け入れることができた。ただ、保育園でも幼稚園でもないクリニック内の託児コーナーでは、私のことをなんと呼んで良いのか分からないお母さんもいる。そこで、気遣いから「お姉さん」という言葉を選んだのだろう。
いつ頃から「お姉さん」が自分にふさわしい呼称じゃないと思うようになったのか。少なくとも子どもができる前までは、30歳を過ぎていても「お姉さん」に違和感はなかった。不意に鏡に映った自分の姿にがっかりすることが増えた頃から、スマホのカメラが自撮り側になっていてギョッとすることが増えた頃から、もう若くないという自覚があったのだろう。心の中のコンプレックスが「お姉さん」に抵抗を抱く。花の命は短しと、笑い飛ばすか。
結婚して、子どもを産んで育てて、家族を作り、私は幸せだ。きちんと人生を生きている。時を重ねてきている。おばさんになっても、おばあさんになっても、悲しむことは一つもない。シワが気になって落ち込むことも、たるみが気になってため息つくこともあるけど、私は自分の人生が好きだ。「お姉さん」と呼ばれるたびに動揺して、心の中であたふたして、それを悟られまいと振る舞う人間くさい自分は、客観的に見ると滑稽で面白い。年を重ねることで起こる自分の変化を楽しむ余裕を心のどこかに持っていたい。そのうち「おばちゃんやない、お姉ちゃんやでえ」と笑っていう大阪のおばちゃんになっていたりして…
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