香港子育て回顧録 -これまでも、これからも
白井純子
愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。
2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。
2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。
親の期待
我が子ながら、私自身と息子達がまったく別の人間なのだと思い知らされることが最近よくある。彼らが幼児の頃は、私の世界の中に彼らがいて、私の言葉を浴びながら彼らは私の色に染まっていたように思うが、さすがに中学生くらいになるとそれぞれが独自の考え方を持つようになり、性格も出来上がってくるので、私の常識を彼らに押し付けることに無理が出てくる。もともとが、個性を尊重する育児を心がけ、彼らとの関係が悪化することもなくここまでやってこれたが、最近は時に私自身が壁にぶち当たりため息することも多い。
より広い世界に飛び込み、より広い視野を獲得してほしい。そんな期待を込めて始めたカナダでの留学生活だが、長男は同じ学校に通う日本人の友達とつるむことが増えた。慣れない環境の中でそれなりに精神的な負担もあったことは察しがつく。共通の話題と共通の言語で気楽に話せる日本人の友人達は彼にとって癒しにもなっているのだろう。色々な国の友達を作り、様々な文化を体験してほしいという親の期待は、彼にしてみたら高望みでエゴにすら感じるのかもしれない。学校の授業をこなしているだけでも賞賛に値すると私も頭では分かっているのだ。しかし、私も親である前に一人間だ。エゴの生き物だ。他でもない我が子に自分の理想を重ねずにはいられない。だが、知らないことを知りたいという好奇心が強く、自分とは全く違う人々との出会いを楽しむ私の性格とは対照的に、長男は冒険を嫌う。温かい穏やかな環境で変化を避けるように生きたいタイプなのだと思う。そして、彼の望む生き方も決して間違いではない。親の望み通りになるよう自己犠牲を払いながら生きるなどということがあっては絶対にいけないので、私はただ自分の母を思い出し、息子達の全てを受け入れられる人間に自分も成長しなければならないと思いにふける。
母が以前私に言った言葉を思い出す。「近くに嫁に行って、週末に孫を連れて遊びに来るような生活を望んでいたのにね。」
弟が二人いるものの、私は一人娘だ。日本の田舎町で育ち、家族、特に母親との関係は非常に良かった。有り余るほどの愛情を注いでもらったことに感謝の気持ちを忘れたことはない。それなのに、私は高校卒業後、進学のために上京する。家族と離れることが辛くて、心が張り裂けそうだった。上京の喜びより別れの悲しみの方が優っていたのに、私は自分で進路を決めた。それは北京に留学した時も、香港に嫁ぐ時も、見送る母の姿が涙で見えなくなるほど寂しくて悲しい思いをしたのに、母の望む生き方ができなかった。だが母は、私を責めることはない。帰省すればいつも嬉しそうに私を受け入れ、また寂しそうに私を送り出すことの繰り返しだ。
子の幸せを望まない親はいない。でも幸せの形は人それぞれだ。それがたとえ親子であっても。彼らより少し長く生きた人生の先輩として、世界の見方や幸福について多くを語ってきた。少なからず彼らに影響は与えられてきたはず。それが親が出来ることの限界なのかもしれない。それを踏まえて彼らが何を選択しながら生きていくのか、焦らずに見守りたいと今は思う。