香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

香港 の緊急救命室

香港 の緊急救命室

香港子育て回顧録 -これまでも、これからも

白井純子 

愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。

2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。

2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。

 


香港 の緊急救命室

香港で子育てをしていて一番苦労したのは、子どもの怪我と病気。病名や医療用語は母国語でも完全に理解できないことがあるのに、パニックに陥っている時、緊張がピークの時にお医者さんと外国語でコミュニケーションをとるのは本当に難しい。ERに駆け込む時は、辞書を準備する余裕もないから、時にはお医者さんに情況を中国語で書いてもらったりした。

さて、そんなにERに駆け込むことがあるのか?と思ったあなたは幸せ者だ。私は記憶しているだけで5回はERにお世話になっている。全て次男くんだ。彼は怪我をする天才だった。怪我をした直後にいつも「なぜ?ここで?」と私は頭の中がクエッションマークでいっぱいになった。運動神経の抜群に良い彼が、なぜか突然転んで縫わなければならないほどの怪我をする。宿命とか、運命とか、そんな言葉が浮かんでくるほど、不思議な瞬間が時々彼を襲うのだ。その度、私の寿命が縮む気がした。


未だにはっきりと思い出せる1日がある。次男くんが2歳、お友達とプレイグランドに遊びに行った時、楽しそうに遊んでいたかと思うと突然転び、滑り台の端で頭をぶつけて血だらけになった。よく見ると左目の上がパックリと開いている。これはすぐに病院にいかないとダメなやつだと分かった。長男くんをお友達のママに託してタクシーを拾い、病院に向かうのだが、遊び足りなかった次男くんは「もう治った。まだ遊ぶ」と血だらけの顔で言った。私は彼を見て苦笑いだった。


病院に着いてから、怪我の処置をしてもらうまでに4時間待たされた。パブリックの病院なので、命の危険がある患者さんが優先されるのは仕方ない。でも、血だらけの2歳児を病人だらけの待合席に4時間も放置するなんて酷いじゃないか!と憤りマックス。どうしていいのか分からずに怒りと不安に押しつぶされそうになりながら、夫と義理の姉に連絡した。泣き疲れた次男くんはいつのまにか眠ってしまった。4時間ほぼ同じ体勢で子どもを抱き続けるのは、相当疲れる。疲労困憊ってこいういことだなあ…とぼんやりしていたところで、ようやく次男くんの処置がなされることになった。次男くんは子ども用の布団でグルグル巻きにされ、処置台の上に押さえつけられた。動くと危ないからという理由だが、その時の次男くんの恐れおののく表情は忘れられない。「母ちゃん助けてー!」と叫ぶ。私はいたたまれなくて泣いた。麻酔を使わないのには理由があったのかもしれない。もしくは、麻酔をして下さいと頼めたのかもしれない。でも、私は聞くことも依頼することもできなかった。処置が終わる頃、義理の姉が病院に到着した。彼女の顔を見て、ホッとして力が抜けた。

この経験の後、緊急時にはプライベートの病院に行くようになった。ほぼ待ち時間なしで診てもらえる。でも、次男くんが頭を強く打って嘔吐した時にかかった治療費は約6000ドル。フーッ!MRIってお高いのね。でも、お医者さんが二人ついて、丁寧に説明してくれたので、ただの脳震盪だと分かり安心した。

帰国後も転んで下唇を前歯が貫通するという大怪我をした次男くん。これが最後であってほしいと心から願う。子どもの怪我は自分の怪我より痛いからなあ。

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