香港子育て回顧録 -これまでも、これからも
白井純子
愛知県出身。大学では日本国文学科専攻。北京電影学院留学中に香港人である現在の夫と出逢う。長男を東京で、次男を香港で出産。
2014年夏に9年間暮らした香港から大阪に帰国。帰国後に保育士資格とチャイルドマインダーの資格を取得。
2019年夏から息子達の留学のためバンクーバーに滞在中。現在の関心ごとは「Sustainability」。
MOVE
もう直ぐ、この町を離れる。帰国してから5年、あっという間に感じた反面、子ども達は見違えるほど成長し、5年の長さを思い知らされる。常に両腕の中に子らを守り、目を離さず、緊張感と集中力を絶やさぬよう母親の役割に全うしていた日々が知らぬ間に過ぎ去っていた。子ども達は日に日に巣立ちの時期に近づいている。ここで過ごした毎日の中にある風の匂いや暖かな日差しを思い出し、懐かしく思う日がやってくるのだろう。
生まれ育った土地で一生を過ごす人がいる。私の父もそうだ。先祖代々受け継がれてきたものに対する責任感なのか、地元愛なのか、デパートも映画館もない田舎町から離れることなど考えてもいない。畑を耕し、野菜を収穫し、山菜を採ったり、潮干狩りに行ったり、毎年毎年が同じように過ぎていく暮らし。そして、十分に満足しているように見える。そんな人生を私も送ることができたなら、一人娘を近くに感じ、父も母も喜んだに違いない。
父の血を引いている私だが、同じ場所に留まることのできない人生を送っている。そういう宿命なのだと思う。移動する理由は様々だ。それが進学だったり、留学だったり、結婚だったり、時には地震が怖くてだったり、社会や政治への不安だったりもする。自分の人生を豊かにしたいという欲求や、もっと理想の自分に近づきたいという向上心が、私の原動力になっているように思う。加えて今は、子供の人生に安心や安全を与えたいという願いも強い。未来に希望が持てる場所を探すために、新たな移動を始めようとしている。
さよならが近いと思うと、当たり前だったもの全てに愛着を覚えるものだ。ここで見る木蓮の花もこれが最後なのだろう、ここで嗅ぐ金木犀の香りもこれが最後なのだろう、ここから見る夕焼けも、モノレールが遠ざかる光景も、ランドセルを背負って走る小学生の姿も、これが最後なのだろうと思うと、全てが愛おしく感じる。香港を離れた時もそうだったように。香港で9年住んだ部屋を後にした時、涙が止まらなかった。そこで過ごした時間の全てが愛おしく、胸がいっぱいだった。またあの時のように私は、このドアを閉める時に涙するのだろう。入居を決めた日の、新しく、何もなかったこの部屋に入ってはしゃぐ小さな子ども達の姿を思い出して。
前に進むしかない。前へ前へと進まなくては生きられない。ホモサピエンスがアフリカから大陸を移動して広がっていったように、冒険するものにしか見えない新しい世界があると信じる。次の街で私たちを待っているものが、私たちの心や生活をより豊かにしてくれることに期待して、次の一歩を元気に踏み出そうと思う。